【漫画第12話】理不尽な現実。日蓮、万事休すか
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来週で最終回となる漫画「あなたは尊い」。第12話は、日蓮に絶対絶命の危機が訪れます。この難局をどう乗り越えるのか? 残り2回でお届けします。
理不尽と不合理の違いについて考えさせられました。
幕府の役人も、ある合理性があって日蓮を迫害したのだろうから、合理性からうまれる理不尽というものがある。例えば、トロッコ問題で人数の少ない方にトロッコを走らせるという合理的判断に、ある種の「おぞましさ」や「理不尽」を感じるのは、その合理性の「物差しの種類の少なさ」にゾッとするのだろう。とすると、「物差しが少なすぎる合理性」に理不尽の元があるのかな。つまり、本来は物差しの多さに付随する判断の苦しみと言うものがあるのだけれど、そういう苦悩から逃げてしまうことで出来る合理的判断というものがあり、そういう合理性が理不尽を生む、ということかも。
とすると、私たちは理不尽なことに対してついつい「合理性の観点」で批判しようとしてしまうのだけれど、「物差しの少なさ」を批評する方が、的を射た批評になるのかもしれない。「雨乞いは魔法や超能力ではない。降るまで唱えようと思っていた。」
この言葉に日蓮の強さ、人を感化し導く力、新しい宗派を生み出す力、そして社会を変える力の強さを感じます。
人は、非科学的なものをおそれて目に見えるものに頼りがちな弱さを抱えています。また、同時に非科学的でありながら、特殊な言説を盲信してしまう弱さももっています。それ故、宗教をも遠ざけてしまう傾向ももっています。
しかし、日蓮の行動を見ると、決して非科学的ではないと感じました。
自らの信ずるところによる行動の積み重ね。崇高な信念による事実の積み重ねが、人の心に届き受け入れられ、現実を変えていく。それが信仰となる。
こんなことを感じることができました。