【削除されました】養殖物2022年2月9日(水)
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皆様、おはようございます。
またまた沖縄の話をさせて下さい。
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前回は、沖縄の本土復帰に伴う「車の左側通行への変更」を書きましたが、今回は法定通貨切替の話です。
戦後に米軍の施政権下に入った沖縄は、復帰までに5回も通貨の切り替えが行われました。
大別すると、「B円」から「$」、「$」から「円」と変わっていきます。
○「B円」
B円とは、B型軍票と呼ばれる軍用手票のことで、終戦から1958年頃まで、沖縄県での法定通貨となりました。
1950年頃、交換レートは、円に対してB円は3倍の価値と定められ(実際はもう少し下振れした模様)、本土からの資材等の購入や経費の支払に充てられました。
安価で購入された輸入品は県民の生活を支えましたが、反面、製造業から輸入品の販売業に転換・従事する者も多くなりました。
県内の産業構成は、今日でも第三次産業の割合が最も大きく、製造業が少なくなっていますが、その一因と言われています。
○「$」
1958年、琉球列島米国民政府高等弁務官は布令第14号により、B円を$と通貨交換する事を決めました。
ちなみにこの高等弁務官は、米軍の中将クラスが任命され、琉球政府職員の罷免権、裁判官の任命権、立法の拒否権等、絶大な権限を持っていました。
続けて余談ですが、最後の高等弁務官ジェームス・B・ランパートは、比較的穏健な施政でした(日本政府から叙勲されています)。他方、米軍に影響が及ぶような事態には「我々がジャングル(沖縄)の掟に従う必要はない」と公言した記録が残っています。
1950年に出された沖縄統治の基本方針「琉球列島米国民政府に関する指令」には「軍事的必要の許す範囲においてのみ自治を促進する」となってますから、当該弁務官の発言は、それを端的に表してる印象です。
まぁ、この発言には、おじいも憤慨した様です。
○「円」
長くなる話なので、また改めて書きたいと思います。昨晩はとある趣味人の庵にお招きを頂き、美味しいお酒と食事をいただくとともに、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
私のような何をやっても人並みにできることの方が少ない市井のオッサンから見ると、何をやっても超一流の人というのはこれが同じ人類なのかと思ってしまいますが、ここまで突き抜けてくると嫉妬も劣等感もわかず、ただただ感心するばかりです。
そうした人が大金も求めず、凄い社会的地位も求めず、趣味を追い求めて雲水の如く生きる自由闊達な生き様は人の幸せの形には様々な形があることを感じさせてくれます。
【今日の歴史】
1950年の今日マッカーシー上院議員が国務省に250人の共産主義者がいるとして、その追放を求める演説を行った。
このことをきっかけに全米でマッカーシー旋風と呼ばれる共産主義者の追放運動、所謂赤狩りが激化した。
しかし1954年マッカーシーは失脚し赤狩りも収束に向かった。おはようございます!
ついにやってしまいました。
鬼滅の刃第10話「絶対諦めない」
※ネタバレ含む
何がやってしまったのか?
それは、深夜アニメの枠だけでなく、アニメ界…いや、劇場版をも超越してしまったことです。
この場で何度も話している通り作画は勿論、演出・BGM・カメラワーク・声優さんの演技など全て凄すぎました。
炭治郎の痣出現・善逸の霹靂一閃神速・伊之助の化物染みた軟体から迫力満点の三位一体感。
宇髄と妓夫太郎による超高速な超激闘。
まさに漢vs漢の真剣勝負。
もうヤバ過ぎます。
炭治郎の危機に間一髪助太刀した宇髄が「譜面が完成した!勝ちに行くぞ!」と叫ぶシーンからの怒涛の流れは瞬きすら許されません。
歴史的な回を目の当たりにできて幸せです。
ufotableありがとう😌
それでは皆さん、絶対諦めずに、良い1日を!