「説明しない態度を許してきたのは国民」 感染症専門医が見た五輪で変わったこと、変わらないこと
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マスメディアはこういう専門家の方々に仮託しときに担ぎ上げますが、いまだに、特定の思想や医療のみに偏重した意見を発しているという自覚はないのかしら。
政府のコミュニケーションは最善とは言えませんが定例記者会見や首相談話を通じて情報発信しています。自分が望む意見やスタイルでないということでしょう。
社会の分断や不安を反対の理由にするのは、ようは「俺が納得・安心できたら賛成」ということですから、勝手至極な考え方ですよね。だから相手にされないのでは。積極的に支持しているわけではないが、他に支持できる(したい)政党がないから、現政権を支持しているということから、支持され続けているわけです。
国民が納得できる説明をするには、政策決定過程の透明性が何より必要です。それがなければ、国民が政府を信頼することはできません。
その場さえ凌げば、国民は忘れてしまう、選挙になれば、これまで通り我が党に投票してくれるという経験も何十年と積み重なれば、国民は無関心、無気力になるのも、仕方ない気もします。
政権交代が起きた歴史も、国民には「何も良くならななかった」という失望で終わってしまいました。結局は野党も根は同じではないか、ということを見せつけられた気がします。
それでも、冷静に考えれば、政権交代で起きた政策の変化は確かに良いものも少なく有りませんでした。それをみんな否定してしまっている私たちの態度が、説明責任の追求より、今のままでいいや、という思考停止を招いていると思います。
国家が貧乏になっているのに、豊かな一握りの人は国家の富を独占するほどになっていく極端な格差社会になっても、思考停止に陥った圧倒的に多数の国民によって、現政権は支持されることになりそうです。
SNSには政権批判が溢れかえっていても、投票行動が変わらない限り、国家の貧困化は止められそうにないようです。貧困化とは経済もそうですが、目先のことしか考えられない心の貧困化が最も深刻になるのではないかと思っています。
困っている人が、そこにいても気づくこともできない分断が、集団ではなく、個々人に起きるような社会に向かっているような気がしました。
岩田医師の怒りは、本当はこういうところから生まれているような気がしてなりません。岩田さんは事実と言っていますが、事実は見方によってけっこう変わりうる。感染爆発した国ではロックダウンしてもなかなか状況が収まらず、フィリピンでは3/15〜約2.5ヶ月のロックダウンをしても感染者数が増えています。日本でも緊急事態宣言が何度か出されていますがその後の収束を考えると実際にピークアウトをしたのは宣言前だという分析もあります。
『人流が減れば感染機会も減る』・・ミクロ的には正しいのでしょうが、マクロ的にみれば必ずしもそうはなっていないのが難しいんです。
特にコロナ対応では専門家も含めそれぞれがイメージする理想の対策やそれを実施していた場合しなかった場合の流行や被害が人によって全く違う。その上で政府はやたら『科学的な根拠』を求められますが、専門家でも分析が異なる上に政府は感染症だけを見ているワケにはいかず経済への影響や自殺への影響など総合的に判断する必要があり、説明が難しい。また下手に基準や予測を出して野党に言質を取られると政局に利用される。ここが説明を難しくしている大きな要素だと思う。
更には国民は対策の是非より、被害がどれだけ出たのかで政府を批判するし支持率も変化する。けっこう今回の危機対応はそういう意味でも難しい。ただしそれでもその時その時の分析や見込みを説明する方が僕は好きですが、菅政権はとにかくコミュニケーションが下手(河野さんのみ例外) だから、なかなかそれは望めないかも・・。
とはいえ中身をみれば経済対策はそこそこやっているし、特にワクチン確保は大きな成果だったと僕は評価しています。あと接種の遅れやらいろいろ言われていますが、外野が思うほど簡単ではないことも多いと思いますね。