ドイツのアウトバーンはいかにして世界を変えたか
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アウトバーンの前身は、1921年ベルリン郊外に完成した自動車交通および練習用道路(AVUS)でした。「練習用」というのが面白いですね。
実はアウトバーンよりも10年近く前、イタリアでは1924年にアウトストラーダ北部ミラノ- ヴァレーゼ線が開通しています。
一帯のアウトストラーダは今日、スイスから帰ってくると、かなりボロさが目立って泣けてきますが。
注目のコメント
ドイツのインフラは、ローマ帝国を意識している。
ベルリンの都市構造、レーゲンスブルクの
ヴァルハラ神殿は、ローマ帝国の国境をドイツ側
から反対に睥睨、そして全ての道はローマに通じる
の、アウトバーンである。
そもそも第三帝国とは、ローマ帝国、神聖ローマ帝国
そしてその次のヨーロッパを統一すべき、
第三帝国なのだから、当然である。
ローマ帝国と同様に、徹底した高速化、無料化は
大変な努力を要する。
頻繁に更新工場が行われ、その安全に高速に走り為
更新が完成した後も、数ヶ月間は速度制限がかかる。
執念を感じる。
日本の道では、恐ろしくて速度が出せない。
道の平滑度、カーブの緩やかさ、全てが
安全に高速に走る為に用意されている。
この道は車を鍛える。同じ車と言っても
ドイツの車は同じ意味なのか?と疑うくらい
違う様に感じる。
日本にあってはほぼ無駄な能力である。
新東名は、このアウトバーンに匹敵する。
ここで、ドイツ車で走ると、振動が全くなかった。
そこを、国産車で走ると、振動が出てきた。
日本の高級車を、ドイツで走らせたお年配の
女性が、怖かったのよ。と言われていた。
毎日素人が、超高速で走らせるというのは、
試験でいくら走らせても、敵わないノウハウとなる。
ドイツでも130Km/h以上は不要だと言う、
政党も有るが、多くのドイツ人は、その主張は
受け入れられないだろうと、言っていた。
追記 大山様
アウトストラーダは、速度制限もあり、有料なのに
道のメンテも悪く、塩野七生先生も、ローマの子孫は
どうしたのか?と嘆かれる状態ですので、世界初かも
知れませんが、評価されないのは、やむ終えないかも
知れませんね。多くの人がイタリアスーパーカーを
アウトバーンに、走らせに来ておりますね。島田さんがおっしゃる通りアウトバーンはローマの後継帝国を目指したヒトラーの第三帝国の歴史的産物ですね。
構想自体はワイマール共和国時代からありましたが、共和国時代に開通したのは僅かに40キロ余り。
対してヒトラーのアウトバーン構想は全長6900キロという遠大なもので、ナチス崩壊までに半分以上が完成しました。
因みに世界最初の高速道路ネットワークを作ったのはヒトラーではなく、本家ローマ帝国の自称後継、ファシストの先輩ムッソリーニ。
彼が作った高速道路網アウトストラーダが最初です。
ムッソリーニは自らがハンドルを握るほどの無類の車付きで、フィアットやアルファロメオ、ランチア、フェラーリなどはムッソリーニの庇護の下成長し、戦前の一般市民の自動車普及率はイタリアが欧州一だったと言われています。
従って本当の意味で世界を変えたのはドイツのアウトバーンではなく、イタリアのアウトストラーダなのですが、なぜかいつもドイツと比べられて無視されるのがイタリアの歴史の悲しいところです。アウトバーンの速度無制限は、徹底したドライバーのマナーの上に成り立っています。走行車線側から追い抜いていこうものなら、警察へ通報されても文句は言えないお国柄です。トラックが追越車線へ出てくることもまずありません。
インフラとして注目されがちなアウトバーンですが、マナーも見習うところが大きいです。
追記
超高速域で発生することがある日本車独特の振動は、サスペンションアームや取り付け部の剛性に起因することが多く、日本のメーカーも原因を掴んでいます。過去にはここに踏み込んだメーカーもあり、欧州で高評価を得ましたが、内装が安っぽいなどの理由で日本国内ではいまひとつでした。似たようなクラスの欧州車はもっとチープだったのに…日本市場はガラパゴスです。