【橋爪大三郎】「科学と宗教」両方を学ぶべき、これだけの理由
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科学だけで物事を捉えようとすると、「死」は単なる物理現象になる。死んだら腐って肉体がバラバラになり、あとには何も残らないことになる。大切な人が亡くなったとき、そう考えることに耐えられますかーー。
この言葉には本当に気付かされました。葬儀を始めとする「死」に関する儀式は、亡くなった人というよりも残された人のためのものという色彩が強いですが、私たちはどこかで、科学を超えた世界を信じていて、それが心の平安につながっているのだと思います。古来から人類がともに歩んできた宗教。科学の発展により、「宗教なんていらなくない?」と考える人も増えたと思うのですが、そんなことはないですか? という疑問に対し、橋爪先生が丁寧に解説してくれました。
そもそも科学とはなんなのか、政治とは、宗教とは。橋爪先生は、それらひとつひとつの言葉をきちんと定義した上でお話してくれて、「本物の知性ってこういうことを言うんだろうなぁ」と感動しました。
科学はいつ興ったのか。科学が隆盛を極め、「理性があれば神はいらない」という考えが広まって起きた歴史的に重要な出来事とは? そして、その考えが行き着いた先とは。
取材中、「人間の死についてきちんと述べることができないということは、人間についてきちんと考えているとは言えない」とおっしゃった先生。その言葉には、50年以上もの間、様々な角度から探求を極めた重みが詰まっている気がしました。
と同時に、「知識を得るだけでは役に立たない」ということも教えてくださり、つい知識ばっかり集めたくなってしまう我が身を振り返る機会になりました。
「私」はどのように「私」になるのか。「よく生きる」とはどういうことなのか。「選択」がもたらしてくれる最大の恩恵とは。
全編を通して、深い教養に触れたと感じるインタビューでした。みなさんにもお楽しみいただけていたら幸いです。3日間お読みいただきありがとうございました!科学は検証済の既知のことだけを認めます。この科学に不足しているのは、未知のことにどのように向き合うかです。これは誰からみても論理的な帰結です。
従って、科学だけが正しいと考えると、未知のことにどうやって向き合うかが分からなくなります。そして、未知のことがなくなることは永遠にありません。
哲学や宗教は、未知に向き合ってきました。今後も発展します。カテゴリー名が哲学や宗教ではなくなるかもしれませんが。