セクハラの根源にある自然界の「オス-メス間衝突」
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「ディープな科学」2回目は、セクハラの背景に潜む生物学的な要因がテーマに、ヒトを含むさまざまな動物の行動と生態について研究してきた人類学者の長谷川眞理子さんにインタビューしました。
自然界では、オスとメスの間のコンフリクトが必ず起きているといいます。その原因を、卵子と精子の特徴にまで遡って解説していただいたのが、個人的には最も興味深く、なるほどと思う内容でした。また「多様性」の意義についても、2つの異なる視点から語っていただきました。
記事にすべては盛り込めませんでしたが、取材時の話題は多岐にわたり、とても楽しい時間でした。そもそも私たちは既に多様である。にも関わらず意思決定層が画一的であることは、「見せかけの最適解」に過ぎない。
長谷川先生のお話は、聞けば聞くほど目からウロコでした。
「家庭」と「職場」という二重構造の複雑な社会で、多様な私たちがコンフリクトを避けながら生きるためには、論理的思考は必須だと思います。
そのために重要なのは教育ですが、論理的思考を身に付けないまま大人になってしまった人は、どうすればいいのかーー。未だに答えが見つかりません。
企業による教育や、年齢性別関係なく議論をできる環境が鍵になるのではと思います。そのために、まずは日本企業にありがちな阿吽の呼吸や、目上の人への忖度といった文化を見直す必要があるのかもしれません。同じ人間なのに国によってジェンダーギャップが異なる理由、僕は教育にあるのだと思ってしまいました。
欧米の教育学者が日本の教育を見た時に驚く事は「日本人は学校の中で集団の一員として生きていくよう人格を形成させている」ことだそうです。成長ではなく形成であり「出る杭は打たれる」と「他人に迷惑をかけない」という概念が説明しやすいそうです。
欧米人には多くの日本人が当たり前に持ってるであろうこの感覚が理解できません。
故に妊娠、出産、産休のような祝うべきことですら、逆に僕らは迷惑がかかったり出世に響くと思ってしまうし、実際そうなるような集団意識や仕組みになってしまっています。
遡るなら学校の中で何かと男子女子と分けたがる事自体が、いわば性別すらも集団の中でどう機能すべきか幼い頃から叩き込まれてしまっているのかもしれません。