【落合陽一】日本企業を〝大改革〟せよ
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神会でした。
過去、最も議論パフォーマンスを発揮したと思われる、安宅さんと冨山さんをアテンドしたことが最大の一手。具体と抽象を行き来しつつ、来たるべき、というか創り上げていくべき世の中についての議論を進めて行った必見の会だったと思う。
落合さんと宮田先生が珍しく意見が分かれた、若手の「方向性は正しい、でも考えが浅い(借り物)」の若手をどう判断するか、の議論は実はそのまま、Educationの議論になる。
普段の、「どこまでの深さ、あるいは解像度で物事を見ているのか」という話。
なんとなく直感的に正しい方向に進もうとしているものの、そもそもの基礎的な考えや考察の浅さは基礎的な教育や環境のレベルでどうしても左右される。'解像度の高さ'は指導者を含めた周囲の人からの'伝染性'を多分に持っている為だからだ。
結果、「どこまでの深さ、あるいは解像度で物事を見ていくか」というものは、競技を問わない。'学び'でも'スポーツ'でも'音楽'でも、結局違いは解像度の高さに現れる。大学生でも鍛えれば解像度は鍛えられると思うが、本当はもっと前段階で獲得できると思う。現状のレガシーな受験制度であっても、私が関わる中学受験算数を切り取っても、開成・桜蔭・麻布・栄光学園は問題そのものが解像度の高さを求める、筑駒や灘は解像度に加えて速度を求める、ということで、結局入試という課題においても明確にそこを要求していると考えられる訳なので、どうしても指導者はそこを求めにいくモーメンタムが働く訳だ。
一方、宮田さんの意見は、そのままオルタナティブの教育の話に繋がり、自分で獲得した方向であれば、それが借り物であろうと、その解像度が低かろうと、賞賛し期待をすべきではないか、と。それも分かります。自らが方向を手に入れること、それ自体でも大きな違いだから、ということです。
ここではほのめかされているだけではあるが、結局は、「時代に逆らわない、あるいはそこに則った方向性の獲得」と「考えの深さ、解像度の高さの獲得」を両立できることが、現代を生きる個人に最も求められているのだよ、ということになる訳だ。
注目のコメント
これを聞いて冨山さんのCX買って目次見て自身の関心と相関の強そうな二章を読んだ。
相変わらず冨山さんの的確かつ空気を読まない論調は清々しい。結局コーポレートも人の集まりであり、その構成要素の1人である自分自身がどう変革を起こすかとても考えさせられる。多感なビジネスパーソンは全員読むべき本だ。