【新】「ドリーム・ハラスメント」が若者を潰す
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非常に共感する内容です。
学生さんとお話していると「やりたいことがない」といった悩みをよく耳にします。学生さんどころか、40代のミドルマネジメントの方から同じような相談を受けることさえあります。
みんな「やりたいことを持っていなければいけない」という強迫観念に縛られすぎだと思います。
就業経験もないハタチやそこらの学生さんが、仕事を通じた「やりたいこと」を持っていると思うのがそもそもの間違いではないでしょうか。
世の「自己分析」や「自分探し」と呼ばれるプロセスの多くは、「やりたいこと」をでっち上げるための理論武装に見えます。
もしも自身の志向性に悩んでいる就活中の学生さんがいるのであれば、まず自分には、世のオジサン達と同様に自分には「やりたいこと」なんてないという現実を受け容れるところから始めるのがいいんじゃないかと思います。それは何ら恥じることではありません。やったこともないのに好き嫌いなんてわかるはずがない。
自分の経験に照らし合せて「なんとなくこういうことは好きそうかも」くらいの目星をつけることには意味があると思いますが、自分は「探す」ものではなく「つくる」もの。
新卒で大満足できるドリームジョブを引き当てられるなどとゆめゆめ思わず、「入社後に心底満足できれば勤め続ければいい」くらいに捉えておくのが良いんじゃないでしょうか。
キャリア形成も仮説検証のプロセスであり、最初から40年間、同じ会社に勤め上げることを前提とする方が間違っています。「夢を持て」という風潮に違和感を覚える人は、昔から一定数いたと思います。なのに、「夢の強要」は下火になるどころか、近年ますます加速していると聞いて驚きました。その背景には「夢」が教育のツールとして便利に使われているという実態があると言います。
夢を持つこと自体は悪いことではない。だけど、無自覚な夢の押しつけは、大人が想像する以上に若者を追い詰めている。大学のキャリア支援課で、日々大勢の学生たちと接している高部大問さんの訴えには切実な響きがあります。
必要にせまられたあげく、即席で「夢」をこしらえ、就職面接では器用にその「夢」を語り、「夢をかなえた」という体で入社してくる若者たちの熱意が、一体いつまで持つものか。企業側にとっても深刻な問題ではないでしょうか。「夢」というべきか「キャリアデザイン」というべきか。20年前にジブリの映画で語られてたような夢と今の高校生が求められるキャリアデザインは、かなり別のものになっていると思います。
1990年代までは、「夢」というからには、「高校を卒業したらイタリアへ行ってヴァイオリン職人になるんだ」くらいの「変わったこと」をいわねばいけないようなところがありました。何か外国(欧米限定)に行って活躍する、という話が多かったです。今は、そんな「夢」を口に出す高校生は非常に少ないでしょう。外国に行くにしても、中国や東南アジアへ移転した企業の現地業務があるからです。
今の高校生や大学生がやらなければならない「キャリアデザイン」は「就活」の準備であり、大学入試もその前段階として自分の「キャリアデザイン」をひねり出します。AO入試はもちろんのこと、面接全般で、自分のキャリアデザインを説明しなければなりません。大学に入りたいのもそのキャリア実現のため、という前提になっています。高校の教員は、生徒が面接で高得点をとれるように、キャリアデザインについて考えるようにあれこれ促します。
こうなった背景は、非正規雇用が増えて就活が厳しくなったからでしょう。実際のところ、非正規雇用の仕事で、結婚して子供を持って一戸建てを買える、ということは非常に限られています。親から大学に期待されるのは、就活に有利である、ということになりました。そのために、大学にとっての最適解は、入学の時点でキャリアデザインについて明確な考えを持っていてそのために努力できそうな高校生に限って入学させることです。
もちろん、無理矢理ひねり出した付け焼刃のキャリアデザインが、どれだけ本人の人生を豊かにするのか、大いに疑問があります。大学というのはそんなことは考えず、現代世界のこととか、人類全体の問題とか、芸術や歴史について思いをめぐらせた方が、豊かな人生になるのではないか、という考え方もあるでしょう。そういう「ぜいたく」を企業が許さなくなり、大学も高校も若い頃にそういうことができる場所ではなくなったということでしょう。