「つらい」と言いたいのか、社会を変えたいのか。乙武洋匡が「義足」で歩き続ける理由
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『希望がない社会は虚しいと思うのです』
これは、乙武さんの成功ストーリー(本人がそう思っているかは別として)である。それに対して、成功へ嫉妬する人も、自身の経験や境遇から偶然だと揶揄する人もいる。
ただそれでも、「これを見て勇気づけられました」 と言ってくれる人はいるだろう。乙武さんが社会へ、人へ与えたことは希望だと解釈しています。そんな一つ一つの希望が、生きる人にとって力になるのではないでしょうか。
注目のコメント
インタビュー記事が公開されました。
「『つらいんです』と声を上げることだけが目的ならば、そこまで戦略など考える必要はありません。誰もが発信できる時代なので、ただ『つらい』と声を上げればいい。
でも、「社会を変えること」をゴールに据えるのであれば、愚直に声を上げ続けるのではなく、道筋をしっかり考えなければいけないと思うんです。
マイノリティが抱える問題って、マジョリティからすれば『どうでもいいこと』だと受け止められがちなので」私も障害がありつつもそれについてはほぼ苦労せず生きてきたタイプなので、20代までは「自分がこんなに頑張ったからみんなもできるはずだ」という思考でした。
もちろんパラスポーツ選手はそういう面を発信することも重要な役目なので、それは引き続き果たしつつも、時代や様々な境遇によりそれが出来なかった人達がいることも同時に受け止めなければなりません。
(追記:パラスポーツ選手は「自分達は弱者だと思われたくない」という気持ちにどうしても傾きがち)
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「確かに障害者は大変かもしれないけれど、どうして俺らがそこまでやらなきゃいけないの?」と考えるのは自然なこと。だから戦略を練って伝えていくことが重要。
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本当にその通りです。障害者のトピックに限らず言えることですが、ありのままの事実をありのまま謙虚に受け止め、その上で何ができるかを考えていくことが大切だと思います。一度の失態で有能な人を追放してしまうのは、余りに浅はかだと感じてました。
出る杭的人の中には打たれても打たれても、こうやってまた出てきてくれる人もいる。そして、その活動をネットで知ることができる。
こういったきちんとした考えを持ってる人に対して、「不倫してたんでしょ」みたいに過去の過ち1つで永遠と人格否定する人は情報のアップデートができてない。やはり、失敗しても、反省して、また前に進める社会であってほしい。