【初告白】則本昂大「僕が楽天と7年契約を結んだ全てのこと」

2019/12/26
今シーズン、プロ野球界で話題になったのが則本昂大の「7年契約」だった。ゆくゆくはメジャーに挑戦するとも言われた日本球界のエースは、なぜ楽天を選んだのか。後編ではその経緯と思いを聞く。

「則本残留が最強の補強だ」

筒香嘉智がタンパベイ・レイズへの入団を発表し、同じくポスティング制度を利用した山口俊もトロント・ブルージェイズに決まった。
広島カープの菊池涼介も同制度を申請し、西武ライオンズの秋山翔吾は海外FA権を行使し、海を渡る。
福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大もかねてからメジャー行きを熱望していることが報じられているほか、北海道日本ハムファイターズの西川遥輝も新たにメジャー志向を明かすなど、一時落ち着いたかに見えた日本人選手のメジャー行きの波が再来している。
プロ野球界を牽引するスター選手が続々とメジャーを志向する中、そのひとりと目されていたのが則本昂大だ。
2014年の日米野球、2015年のプレミア12、2017年のWBCなど、これまで何度も侍ジャパンのメンバーとして日の丸を背負い、メジャーの錚々(そうそう)たる選手たちと対峙してきた。
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そんな中、今年7月に報じられたのは、「則本・楽天7年20億合意」(金額は推定)というニュース。「メジャー断念」「生涯・楽天」と書いたメディアもあった。
トレンドとは違う選択をしたことに驚きを覚えたファンもいれば、落胆するファン、そして勇気をもらったファンもいただろう。
決断までに何があったのか。
「今年はFAが絡む年(契約最終年)だったので、GMの石井(一久)さんと球団社長から『契約について、一度どこかのタイミングで意見交換をしておきたい』と言われていました。それで設けた最初の話し合いの場では、契約年数や金額の提示といった具体的な話はまったくなかったです。
ただ、石井さんからは『今年のオフ、則本が楽天に残ってくれることが最大の補強だから』とだけ言われました。たった一言だったけれど、僕はその瞬間、自分はもう他球団でプレーすることはないだろうと強く思ったんです」
事実、則本も「わかりました。来年以降も楽天でプレーさせてください」とシンプルにその意志を伝えた。
「その数日後です。19年シーズンから25年シーズンまでの7年契約を提示してもらった。こんなすぐ(条件を)出してくれるんだ、と驚きました。本当にそれが提示を見た僕の率直な感想でしたね。このとき細かい条項については話していないです」
しかしその後、キャンプ中に怪我をし、シーズン前半を棒に振ることが決定的となった(前編)
「(怪我を受けて)石井GMが『則本が試合に集中できる環境をつくるためにも、早く契約をしたい』と言ってくださったんですけど、(大型の条件提示をしてくれているのだから)「今年、シーズンを通して働けなくなってしまったから、内容を見直したほうがいいのではないでしょうか』と提案させてもらいました」
しかし、石井GMは言った。「今年だけだと思っていない。来年以降、戦えるなら大丈夫」。
この言葉を受けて、則本は逆に提案をする。
「そうであるならばシーズン中に発表をしたいです、と石井さんに伝えさせてもらいました。日本のプロ野球界で、再延長契約の前例を作りたいと思ったから。日本のプロ野球界では、契約期間中に(新たな契約を)組み直すことがない。でも、僕自身が『そういう選択肢もあるんだよ』ということをアピールできたらと思ったんです。
だからシーズン中に大々的に発表したかった。そうすれば後輩たちにも『日本でもこういう選択肢がある、頑張ればこれだけ長期の大型契約が組めるよ』と見本と言ったらおこがましいけど、示せるんじゃないかと思いました。もちろん、ああいう形で発表することには、球団への感謝もありましたし、自分のエゴもありましたけど」
2019年3月に結ばれた大型契約がシーズン中に発表された理由はここにあった。

ポスティング条項が入っていた理由

話は核心へと進んでいく。メジャーへの思いは“封印”したのか。則本は海を渡ることを“断念”したのか。
「そもそも、僕はプロに入るまでメジャーリーグ自体に興味がありませんでした。イチローさんや松井(秀喜)さんが活躍していたのはニュースで観たことはあったけど、試合まで観たこともなくて。松坂(大輔)さんは憧れの人なので少し試合も観ましたけど、すごいなと思って観ているくらいで、『自分もいつかここで』と思ったことはありませんでした」
2014年に日米野球に出場した際、アメリカ代表のジョン・ファレル監督が則本を評価したことで、彼の名前が未来のメジャーリーガー候補としてメディアで取り上げられるようになった。
「お前メジャーいけるよ」「メジャーで活躍しているところを見せてよ」則本自身も、そんな声を掛けられるようになった。
「そう言われて満更でもない気持ちも正直あったけど、一方で『俺ってそんな選手なんかな?』っていう思いもあり……。だから自分としては、何が何でも海を渡りたいという気持ちはやっぱりなかったんです」
では「メジャーの可能性」は報道先行だったのか。
「行くチャンスがあれば行ってみるのもいいかな、とは思っていましたよ。それに今後行きたくなるかもしれないじゃないですか。将来どう考えるようになるかは自分でもわからないので。だから『興味はあります』って、今のうちから言っておいたほうがいいかなとか、そんなことを考えていました」
つまり、メジャー行きは「選択肢の一つ」だった。
「そうですね。数ある選択肢の中の一つだったということです。それは、昔からインタビューで何度も発言しています」
とはいえ、前回の契約には「ポスティングの条項」が入っている、とも言われていた。
「『未来の自分が何を希望するかわからないから』という感覚が大きかったです。多くのファンが想像するような、何が何でも行きたいから球団を無理やり説得して入れてもらう、みたいなことでは全然ない。
でも、いつのまにか世間では『則本は当然メジャーに行きたいだろう』という話になっていて……。僕の中では、メジャーへの興味のピークは2014年のオフから2015年半ばくらい。それ以降は世間が思っているほど行きたい気持ちが強かったわけではないんです。だから、今回の長期契約で日本に残ることを“決意”したわけでもなければ、もちろんメジャーへの思いを“封印”したわけでも、メジャー行きを“断念”したわけでもないんですよね」
今回の7年契約が終わると、則本は35歳を迎える年になる。
まだプレーできる可能性も大いに残されている年齢だ。そのとき、もしかしたらメジャーに行きたいと思うことがあるかもしれない。
「前回の契約のときも、未来にこんな大型契約が待っているとは思いもしなかった。だから、7年後のことは今の僕にはわかりません。もしそのときの自分がメジャーに行くことを強く望んでいたら、挑戦することもあるかもしれない。35歳の自分が何を思うか今語ることはできないので、そのときに考えます。ただ、今はっきりしているのは6年は楽天にいたい、という僕の意志だけ」
確かに、契約を全うする意志はその内容にも反映されている。
「今回の契約では、ポスティングの条項も全部なくしました。そしてFA宣言をした上で残留という形をとった(編集部注:次のFA権取得まで4年が必要になる)。あと6年は楽天にお世話になるつもりです。こうやってしっかり宣言しておいたほうが、まわりもざわつかないでしょ。雑音が少なければ、その分野球だけに集中できる。僕にとってはプラスなんです」
世間的には、「石井GMは自分がメジャーリーグという夢の舞台を経験した選手でありながら、則本のメジャー行きの夢を断念させたのでは」という見方もあった。しかし、則本はそれを真っ向から否定した。
「メジャーのことは、最初の話し合いで石井さんのほうから振ってくれました。『自分はメジャーや日本の他球団でもプレーしているので、おそらくほかの人よりも経験値はある。いろんな方向からアドバイスができるから、則本の思っていることを率直に教えてほしい』と言われました。『メジャーに行きたい気持ちがあるなら応援するよ』とまで言ってもらったから、はっきりと覚えています。
それに対して僕が答えたメジャーへの思いは、すでに今お伝えした通りです。現段階では行きたいと思っていないと伝えたところから、今回の契約の話に入ったという流れです。僕の意向をちゃんと確かめてくれてからの交渉ですから、石井さんが僕を無理やり引き留めたと解釈している人がいるなら、それはしっかり否定しておきたいです」
もともとメジャー志向があったわけではないことは理解できるが、自分のレベルが上がってくれば、自然とさらなる高みを目指すようになるのがプロアスリートの性ではないか。
これまで多くの日本人選手が「もっとレベルの高いところで」「最高峰で」とメジャーを目指した。その感覚は生まれなかったのだろうか。
「僕の中では、プロに入って今まで満足にシーズンを終えたのが1年目くらいなんですよ。あの2013年だけは本当に大満足で、ハッピーにオフを迎えられました。それ以降、『今年はやり切ったなぁ』と達成感を覚えたことがないんです。まだまだ足りないんですよ。日本球界で達成したいこと、記録に残したいこと、まだたくさんあって。
僕ね、一応、小学校、中学校、高校、大学と、“お山の大将”でやらせてもらってきたんです(笑)。だから、自分より上がいることがどうしても許せない。
仮に、もし今後僕がメジャーに行くことがあるとしたら、日本球界のお山の大将、もう上が誰もいないってくらいになってから行きます。実際、メジャーに行っている人たちはみんなそうですよ。日本でもうやることがないから行くんです。僕の場合は、自分もチームももっと強くならないといけないし、まだまだ日本でやることがいっぱいあるんですよね」
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お山の大将として日本球界を席捲する

アメリカに渡り、環境を変えてプレーすることには当然ながらリスクが伴う。
一方で、同じ球団に長く留まることにも、成長、進化という点においてリスクが生じることもあるのではないか。
「いや、自分がいる環境は変わらなくても、選手や首脳陣の入れ替えでチームの環境は毎年のように変わりますからね。常に変化はあるんですよ。それに対して、自分がいかに対応していくかがこれからの僕の課題。
僕は少なくとも2025年まで楽天にいることになりますが、これから6年の間にはいろんな選手が入ったり出ていったりする。その中で、楽天というのはこういうチームだと自分が伝えていく役目もあるだろうし、そういう存在になっていけたらとは思っています」
このオフ、指揮官を務めていた平石、そして新人の頃から則本の球を誰よりも多く受けてきた嶋基宏がチームを離れることになった。
先日仙台で行われたイベントでは、則本が涙を流しながら「一緒に野球ができて幸せでした」と嶋に花束を渡す機会もあった。二人が7年に渡って育んできた絆が垣間見えた瞬間だった。
「嶋さんがいなくなるという現実と初めて向き合うことになって、今まで頼りすぎていたんだなと改めて感じます。技術的なことはもちろんですけど、精神的なこともそうだし、チーム全体のこともそう。あまりにも影響力が大きすぎましたから。
でも、いつまでも嶋さん、嶋さんと頼っていたらチームは強くなれない。精神的支柱の若返りは、強いチームには必要なこと。とはいえ、今度は自分がキャッチャーを育てていったり、チームを引っ張っていったりしないといけないと思うと、すごいプレッシャーです。今までとは役割が違うという自覚をもっと持たないといけないな、と」
そのためにも、今シーズンの長期離脱によってチームを外から見られたことは大いにプラスだったと則本は振り返る。
「そういえば、少し前に石井さんにも言われていたんですよ。そろそろ年齢的にもまわりの人間関係や組織の全体像が見えるようになってくるから、選手ごとの接し方を考えながら若い選手を引っ張ってほしいって。ホントに見えてくるのかな?って思ってたんですけどね。でも、今となっては、あぁこういうことなんだなって、少しわかってきたような気がします」
平石、嶋など、チームの功労者が去らなければならない状況に対し、ファンやメディアからも賛否の声があったことはどう思っているのか。
「僕自身は、石井さんの思いに惹かれました。ほかの人たちがどう思うかは、まだ僕にはわかりません。ただ、僕は惹かれるタイプの人間だったということ。平石さんや嶋さんがいなくなることについて、どうして?と思うファンがいることも理解しているし、疑問を感じている人たちがいることも知っています。
今、この球団の中で一番苦労しているのは石井さんだと僕は思っています。僕は石井さんの考えや心境を理解しようと努めているし、今回の改革には何か意図があるだろうと想像することは、少しだけできるようになりました」
自分も、チームも「もう上がない」レベル、つまり“お山の大将”を目指す則本と、常勝球団を作りたい石井GM。楽天を日本一のチームに、そして世界に誇れる球団にという思いが、二人を共鳴させたのだろう。
「あと6年やって35歳になって、石井さんがまだGMをやっていたとして、『楽天をもっと強くしたいから、則本、悪いけど退団してくれ』と言われたら、それはしょうがないと僕は思えます。組織を改革するときって、思い切ったことをしないといけないんです。
選手たちは自分たちのことでいっぱいいっぱいだけど、組織の全体像を見られるようになれば、捉え方も変わってくる。だから、今シーズン外からチームを見たことは、僕にとっては本当に大きかった。
僕は強くしたいんですよ、チームを。楽天イーグルスで何度でも優勝したいし、常勝軍団にしたい。日本球界を席捲する存在にしたいんです」
則本はこのオフからもう一つ、プロ野球選手として新たな試みを始めることになった。2020年シーズンから1イニングごとに1万円を積み立て、公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」を通じて、おもに東北の子どもの学習支援を行うことにしたのだ。
それに先駆けて2019年シーズン分として、背番号14にちなんで140万円を同団体に寄付すると表明している。
「もともと何かやりたい気持ちはあったんですけど、何をやるかが具体化しなくて。グラウンドを離れていろいろと考える時間も作ることができて、今回の支援をすることに決めました。自分は小さい頃あまり裕福な環境にいなかったので、同じような境遇の子どもたちに何かできることができればと思ったんです。
今年のファン感謝祭のとき、今江(敏晃)さんの引退セレモニーがあったんですけど、今江さんが熱心に支援活動をされていた支援先の団体の方々からたくさんのメッセージが送られてきていました。観ていてすごいなと思いました。
今江さんの人柄もあると思うんですけど、やっぱりプロ野球選手である僕らにしかできないことがあるとそこで再認識できましたね。現役のうちからやることの意義を強く感じました」
思いがけない長期離脱があった2019年シーズン。
しかし、本人が選手として味わった苦しみとは裏腹に、人間として、一社会人として得たものは計り知れない。心の進化を遂げたエースの2020年は、はたしてどんなシーズンになるのだろうか。
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(取材・文:岡田真理、編集:黒田俊、デザイン:松嶋こよみ、写真:Getty)