世界は、グローバル・ハイクオリティでノーコミュニティ層と、ローカル・ロークオリティでコミュニティ層に分断される──日本、アジア、そして21世紀
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ローカルで生きる場合、ハイクオリティを目指すことは悪。
「例えば、AKB48は、高すぎないという意味でロークオリティであることと、超大人数にすることによって可能になる圧倒的な数のライブや握手会というコミュニティへのコミット量によって、ローカルでの圧倒的な成功を生んでいます。そして、ロークオリティであるがゆえに、グローバルでは全く競争力がないのです」
注目のコメント
コンサルティング業界もグローバル・ハイクオリティのマッキンゼーとローカル・コミュニティの船井総研が日本で伸びてる。ローカル・コミュニティの船井総研のビジネスの作り方は参考になる。
インターネットの出現以降、
色んな意味でborderがなくなってきている、
価値観がこれまでの国、カルチャーのローカルというborderを超えていくようになった
多くは境界がない世界を体験してない。
これまではそんなに強く守らなくても境界というのは明確にあった。しかし、放っておくと今は境界がなくなっていく。だから、より強い意志で境界をつくろうという人々が出てきている。
"価値基準が変わると産業が変わる"
枠組みを変えることのみが、新しい産業を生んだり、何かの産業を加速させたりする。ロークオリティとまでいわなくてもグローバルでハイクオリティと評価されなければ、コミュニティなモデルを選ばなくてはいけないということは非常に共感です。「こだわり」や「つくり手のキャラクター」「(郷土愛といった)共感」を軸に、特定の人たち=コミュニティに愛されるような製品やサービスや体験を提供し続けていく、これは日本の多くの企業が必要になる考え方ではないかと感じています。そうなると、よりデザイン、コンセプト、切り口、といったキーワードが重要になってくるのだと思います。
“何にせよ、明日生き残るために、僕らは、ローカル・ハイクオリティのモデルからさっさと足を洗い、グローバルでハイクオリティなモデルか、ローカル・ロークオリティでコミュニティなモデル、それらのどちらかを選んだ方が良い、ということなのかもしれません。”