医学部入試で出た「他人のおにぎり問題」あなたはどう答えますか?
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「こんな面白い入試問題があってさぁ〜。中学入試問題にも参考になるんじゃない?!」と、ひとり盛り上がって伝えると、塾帰りの娘(小6)からは、「そんなん出ない。」、妻からは「レベル低くない?!中学入試レベルっ」と一蹴ならぬ、二蹴されたorz
注目のコメント
これはなかなかの良問ですね。ご意見いろいろと思いますが、入試の偏差値の高いことが医師としての大事な価値なのか?ということもあります。
基本はどんな教育で医学生を卒業させるのか、これが医学部教育で最も大事なことですね。卒業後のキャリアも色々ありますが。
私は日本の大学卒、臨床研修をしたのち、医師として米国で10年余の内科・腎臓内科医キャリアを(もう日本には帰れないと思いつつ)すごしました。ご縁があって母校にかえり、また東海大学では医学部長の機会をいただくことができました。
東海大学では当時から医学生5,6年生を1-6か月ほど、学生の臨床研修(クラークシップ)を英米の大学関連病院に派遣していました。これは素晴らしい体験で、これをさらに広げ、多い時には学生の20%近くがその体験をしています。最近でも毎年10人ていどと思いますがそんな経験をしてもらっているようです。
海外の大学、特に英米では違った文化、宗教の学生も多く、例えば病院には「キリスト、ユダヤ、イスラム、仏教」などのお祈りの部屋、また牧師さんへの連絡などもあるのも普通のことです。
英米、ユーロも医学部は自国民ばかりではないし、でも医師免許試験は国によってちがいます(もっとも、医師ですから現地語の話す、と読み書きは必須です)。
現在の日本の医学部では卒業後2年の臨床研修は「マッチング」といって臨床教育・研修の評判の、一般病院を含めた病院へ人気が出てきています。
医学部はどのような卒業生を出すのか、臨床研修はどのが評判なのか、これらが以前よりははっきりとが医学生や研修医に「見える」ようになってきたのです。
どんな入試問題、面接をしても、結局、大学の役割りはどんな学生を社会へ出してくるのか、これをもっと「ヨコ」へうごける社会・組織へと変えていく必要があるでしょうね。
「ヨコ」に動きにくい「タテ」社会で明治維新と戦後の二度の成功した日本にとって、1970年代からデジタル技術が急速に広がるグローバル世界での日本の元気のなさ、沈滞の背景があると思います。
大学は「入学」より、どんな人間を卒業させているのか、これが基本的な価値なのです。
このような米国の医師育成の制度の基本は、宇田左近さんの最近の著書「インデイペンデント・シンキング」(pp66-76)(KADOKAWA)にも記してあるとうりです。「おばあさんにどのように話しますか」という問題は、医師がしなければいけない病状告知に多少通じるものがあると思います。「bad newsの伝え方」というジャンルのもので、最近は医学部の授業でもちらほら取り扱われています。
いくつかフレームワークがありますが、重要なのはおばあさんのがどういう思いでおにぎりを作ったかというストーリーを想像し、感情に配慮することです。医学でも「ナラティブメディスン」という、患者の物語に沿った説明をすることが近年重要視されています。また、医学部受験ということを考えると嘘はつかない方が良いのでしょう。僕だったら「子どもたちのことを思って、わざわざおにぎりを作ってくれてありがとうございます。」と嘘はつかずに素直に感謝の気持ちを伝えておにぎりを持って帰ると思います。
他人の立場に立ってものごとを考えて、空気を読める能力(しばしば欠如している医師もいますが…)が試される問題なのでしょう。面接だけで人間性見抜くのはなかなか難しいですし、小論文でもこういう問題を取り入れるのはよいですね。
『正解』があるわけではなくて、臨機応変さや人間性を垣間見れるにはよい問題と思います。