首里城で火災「正殿」などが全焼 那覇
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衝撃です。沖縄を訪れた時は必ずその美しい姿を見に行きました。まさに琉球文化の象徴です。そして、沖縄戦で焼失、その後再建され、世界遺産になり、沖縄の歴史を体現し沖縄の未来を牽引する存在です。沖縄サミットでは、世界の首脳が会食しました。沖縄をハワイに匹敵する観光地にした立役者のひとつでもあります。ニュース映像ではもう焼け落ちています。残念至極です。
パリのノートルダム寺院の火災に続いて、世界遺産がまたも火災で失われました。今日の那覇市内は北東の風で、4~5m程度の強さで吹いていました。映像で見ても、煙や火の粉は風で流れていました。さほど強い風ではありませんが、火の粉を飛ばすには十分だったようです。
とにかく早い鎮火、鎮圧を望みます。。ショックです…
あの建造物をもう一度復元するのは大抵のことじゃありません…
下記、Wikipedia先生より抜粋です。
【首里城の歴史】
創建年代は明らかになっていないが、恐らく13世期末から14世紀。
1453年に一度目の消失。
第一尚氏の尚金福王の死去後に発生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。
1660年に二度目の焼失。
再建に11年の年月を要した。
1709年に三度目の火災。
正殿・北殿・南殿などが焼失した。この時は財政が逼迫しており、1712年に薩摩藩から2万本近い原木を提供されている。
1879年に琉球処分、沖縄県設置。
正殿など首里城の建物は日本陸軍の第6師団(熊本)の軍営として、その後は首里区(後の首里市)に払い下げられ、学校などとして利用された。
王宮でなくなった首里城は急速に荒廃が進み、老朽化が激しく崩壊寸前の状態になった。
1925年(大正14年)に正殿が特別保護建造物に指定され、正殿の改修工事が行われた。
1945年5月25日から3日間に渡りアメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、27日に焼失したとされる。
戦後は首里城跡に琉球大学が置かれ、多くの遺構が撤去あるいは埋められたが、首里城の再建は戦後間もなくから多くの人々の悲願だった。
1979年に琉球大学が首里城跡から移転すると1980年代に県および国による首里城再建計画が策定され、本格的な復元がはじまった。
現在見る首里城の建築は、三度目の火災の後再建された1715年から1945年までの姿を基にしている。
1992年11月2日に正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され首里城公園が開園。
2000年に「首里城跡」(しゅりじょうあと)として他のグスクなどとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録された。
2019年10月31日未明、首里城正殿にて大規模な火災が発生。