【石川康晴】世界で通用する人は知っている「教養の力」
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最近、美術館に行く機会が増えて絵を見ていると「なんでこういう絵なんだろう?」と不思議に思い、やる事は作者の生き様をウィキペディアで調べること。
これが意外と歴史を知る勉強になる。
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「英語力が必要」という日本人、学生や企業の人、中央省庁の人を見ていて、まず思うのは、何に使う「英語力」なのかということです。ほとんどの場合(特に学生)、漠然としています。英語は道具でしかありません。「英語力」といっても、目的によって身につけるべき英語もまるで違ってきます。
企業の人は、ビジネス英語とか、営業で使う場合とか、工場管理とか、具体的な場面の想定がある場合が多いでしょう。
大学で教える英語、つまり、英語で学問をできるようになる英語力については、日本では関心を持たれないことが多いです。英語で文学や詩を読んだり、哲学や経済学や、エコノミスト誌を読解できるようになる英語のことです。国際機関で働きたい、などの一部の学生以外にはそういう種類の「英語力」は関心を持たれない場合が多いです。明治以来、日本ではこういう「学問ができるための英語」を教えるのが基本であったため、「英語教育は役に立たない」と言われる時にイメージされるのがこういう英語です。
実際、日本人が、英語で、アートやグローバル経済、シリア情勢、中国の一帯一路政策をどう予測するか、キリスト教と仏教の比較、などを論じなければならない機会はほとんどないでしょうから(日本語でだってしていないでしょう)、「実際の役に立たない英語」に見えるのは無理もないです。
しかし、欧米で権力を持つ層は、よほどの成り上がり者でなければ、そういう教養があって、社交の場では必ずアートや国際情勢、文化論が出てきます。そういう議論ができるかどうかで、自分たちと同じ「人間」であるのかどうか見定めます。そして、日本の伝統や文化、外交政策を説明できるのも同じ「人間」と見なされる要件です。
独自の強力な文明が強く生き残った社会、中国やインド、イスラームでも、英語でもいいのでそういう現地の教養に基づいた議論ができるかどうかで、人間を見る目がまるで違います。
そして、欧米であれ、中国やインド、中東であれ、現地の教養を理解して現地の教養がある階層と対等に話ができるということは、少なくとも外交や学術の仕事では、非常に大きな意味があることです。日本の都合だけで仕事をせずに、現地社会にとって意義のある事業がどういうことなのかを理解できます(困ったことに、日本国内からは、日本の都合しか考えない要求が送られてきますが)。世界に通用する教養を身につけるならやはり世界史、宗教や哲学じゃないかなとは思うけど、何を学ぶにせよ、自分が興味持てない事には深みが出ないのでうまくそういう分野を見つける事が先決。個人的には今までは教養を身につけるには本を読むしかなかったけれど、最近は動画の『中田敦彦のYoutube大学』がおすすめ。あっちゃん、マジすごい。
2回目はアートを学び直す効力と見方についてお話いただきました。
アートを見るときに、先にキャプションを見て、情報を入れてから作品を見る癖がある人は多いのではないでしょうか。ここにも詰め込み教育の弊害があるように思います。自分がそうなのですが。
まっさらな状態で作品と向き合ってまずは、30分ぼーっとしてみてください。