コラム:落日の株式アナリスト、厳しい現実と生き残りの方策
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元株式アナリストとしてコメントすれば、
自分が株式調査からイグジットした理由は、将来への悲観からでも、アナリストの社会的使命の欠如からでもなく、純粋に時間軸の長い世代への金融教育をしたかったから。
本稿は、現役アナリストには酷い書き方に見えるが、極めて真っ当なことを書いていると思う。
「想像力豊かな株式アナリストは、新たな不確実性に反応し、そこから利益をどう上げるか」ができるアナリストが生き残ると明示しており、アナリストの社会的存在意義を全面否定するものではない。
自らができなかった自省も含めて述べれば、
業界や当局、政治へのコネクションにアナリストの付加価値が存在するのではなく、市場が看過している小さく重要なファクターを捉え、五里霧中の中で光明を見出し、落ちるナイフをつかむためのカタリストを分析できる能力にこそ存在すると思う。
現役アナリストがんばれ!なかなかに手厳しい記事。機械の方が得意な領域と人間の方が得意な領域があると思い、スピード勝負で大量のデータを処理するのであれば人間は勝てない。ただ時間が長くなれば関わってくる変数も多くなり、そのなかでの相互作用のなかから一番重要なのは何かを判断していくのは、一部の人間は機械より相当強いと思う。それは、ルールが決まった将棋や碁などでも人間を機械が上回るのに相当時間がかかり、また終盤ではなく変数が多い序盤・中盤が苦手だったことからも共通する点だと思っている。
あとは、勝っているときは文句は出ないが、負けているときに文句は出る。そのときの説明可能性。負けることは時間軸を変えれば長期のリターンにつながる(より安くなっていて機会が増している)こともあるのだが、それに金主・投資家ともに耐えることは簡単ではない。機会が強いのは、そういうときに感情が入らずに粛々と実行できる点だが、一方でそれは人間の本能とは反することがある。これまで負けてきた事実とそれと重なる行動をやっているとお金を引き上げることは少なくないが、それがリターン的には往復ビンタにつながることがある。それを人間がやっている方が、信じて継続できる人が、今はまだ多いのではないだろうか(将来は変わるかもしれないが)。