なぜ「能力がないのに出世する人」は絶滅しないのか
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ピーターの法則よろしくなんだろうけど、無能になっても出世するのが問題かもね。無能になってそこで止まればまだ良いのだけど、止まらない…
その役についたら、その役を超える努力。
これに尽きるのかしら。
こういうのを部門全体で話し合える組織にできれば、少なくともその部門内で求められない人が上司や上に立つことを防げるかなあ。
といっても、評価能力、判断基準に疑問符ついちゃう上司のもとでは、その動きを始めるのは難しいだろうから、結局はなるようになるしかないのかとも思うこの頃。
管理職層は、ある種の既得権益層。
常にこれを脅かす?存在を作った方が健全かも。
リーダーシップパイプライン、ほんと上が大事。
ここを間違えると、途端に昭和な年功序列に戻ったり、階層主義が採られたり、実力主義といってる会社と違う方針がすぐに台頭しちゃう。
注目のコメント
面白い分析でした。
「偉い人の覚えはよいのに、下からは嫌われる」タイプの4つとして、
・評価独り占め
・鬼マネジャー
・頭でっかちインテリ
・凡庸なヨイショ
の話は、誰もが一人ずつくらいイメージつくのではないでしょうか。毎度言っていることですが、能力かないのに出世したのではなく、出世したゆえに自己の能力を超えたというだけの話です。
「上司は常に無能である」という有名なピーターの法則という話があります。
優れた人物がその能力に応じて順調に出世を続けていけば、いずれあるところで自分の能力以上の役職や役割につくことになる。
その瞬間、その人物は一転して無能の烙印を押されることになる、というやつです。
つまり、その人は元々無能だったからではなく、最初は有能であったが故に昇進し、しかし、いつの間にか無能な管理職になるということなのです。
彼らを非難する人間ももしかしたら明日は我が身と言うことかもしれませんね。「なぜ能力がないのに出世するのか?」という問の前提は、「能力があると出世できる」という仮定がある。
ところが、この仮定は合ってる時もあるし、間違っている時もある。
私が色々な組織を見てきた経験上、最もしっくりくる仮定は、「能力がある人は、強運を持っていないと出世できない」
である。
能力がありすぎると、目の敵にして潰されます。それを切り抜けるには、強運と愛され力が必須ですので