学校で「心を一つにしよう」という スローガンを掲げてはいけない“深い理由”
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先日、私の勤務校であることについてのミーティングがあったのですが、そのときに出てきた意見を聞いていて、教員たちの間に「依存・批判・守り」の流れがあることに気づきました。また、学校の「教育目標」を教員間で共有できていないことにも気づきました。なので、これらの2点を改善するために、一人一人の教師との対話を大切にしていくことにします。
当たり前をやめてみる…
学校業界は良くも悪くも保守的だ。
古くからある悪しき慣習(勤務時間前のあいさつ活動や、勤務時間後に終わる部活動など)は、一向に変わる気配はない。
職員会議は『学校の意思最高決定機関』のはずが、職員会議後に決定事項が平気で変わる。
会議の時間を守らない教職員は一向に減らない。
学校が所有する自転車の鍵が返却されない。
私ができることは、会議の時間を守る。
借りた自転車の鍵は必ず返却する。
当たり前のことを粛々と実行するのみかと。日本は割とルールを守る、協調性を保つ、ことを大事にする教育をしてきた。これは目指すことが確かでしばらく変わることが無い時代にはよかったかもしれなかった。主体性ってとても難しく、会社内でもいろいろ試行錯誤しているが、この記事にあるような尊重をベースにした、意思の発揮である。
意思をもって生きていくのは相当しんどい。なかなかそんなのできない。大きな範囲ではなく、小さい範囲で少しずつ考えることを積み重ね、かなりサポートしながらそれを練習していく過程が必要。文科省も早く今の世に必要な教育を考え、勇気をもっていまの教育に実験を加えてくれることを願いたい