「~べき」おばけかエンジェルか
コメント
選択しているユーザー
私見を2つ申し上げたい。
①どう尋ねたっておもっくそ生存者バイアスがかかるのでは、と思ってしまう。帰還した戦闘機が翼に多くの銃弾を受けているから、翼の装甲を増せば戦闘機は生存しやすくなると言っているようなものなのでは(社会復帰できない、エンジンに銃弾を受けた戦闘機は本質的にインタビューに答えられない)。
その、エンジンにあたった銃弾は何かというと、私は「べきおばけ」ではなく、「『べき』に関して共通認識を持って愚痴を言い合えるパートナーの欠如」だと思います。「〇〇べき」とは社会が自分に当然期待してる(と自分が思っている)ことであり、個人の努力で変えたり克服したりするのは実際のところ難しいでしょう。結局折り合いをつけてどうにか頑張らないといけないなかで、ただ少しの愚痴さえ最初に漏らせれば、ただ少しの弱音さえ最初に吐ければ、引きこもらなかっただろう人は多いのではと思います。
②「生きていくべき」というのが「べきエンジェル」だというお話には真っ向から異論を唱えたいです。べきエンジェルどころかべきデビルだと思います。
引きこもったことはないけど首つった経験はあるので言うと、死にたいと思っている時に「生きていくべきだよ」と言葉を浴びせられるのは、本物の暴力でしかなく、その人の自殺を加速させるだけです。そこまで考え実行している人を生かしたいというのなら、自殺の制止ははっきりいって無意味で(その人なりの最善の結論が死って出てるから)、今死ななくてもいいかなと思ってもらえるかどうかが全てです。
その、「今死ななくてもいいかなって思ってもら」うデザインとしての最高傑作は、私は全力のハグと「お疲れ様」だと思います。これを見ている人には、引きこもり状態の有無を問わず、死にたいとのたまってて何かしら行動に移せそうなレベルの人を周りに見かけたら、エンジェルの顔した悪魔のべきを浴びせるのではなく、全力のハグと「お疲れ様」をお願いしますと言いたいです。。。
(完)
注目のコメント
『「べきおばけ」と「べきエンジェル」の違いは、社会との関係性の中で決まってくる、自分の中の心の向きや態度の違いにすぎない。』
これに尽きますよね。
「〜するべき」という強い言葉を昔ほど聞かなくなった気がしますが、個人的には、幼少期に植えつけられた、いい意味の「べき」論が、今の自分の価値観を形成していて、困った時や迷った時の道しるべになっています。『ため虫』
会社のため
社会のため
家族のため
友達のため
お金のため…
〜すべきが、社会との関係性の中で決まり、自分の中の心の向きや態度の違いによって受け止め方が変わるように、誰かのためばかり考え消耗しがちなので、自分のための時間も作っていかねば。『〜べき』おばけになる思考に人がおちいるタイミングがある。それは、人に余裕がない時だ。
余裕とは金銭的余裕、心理的余裕、肉体的余裕など。
私は『〜べき』おばけ思考だった。ただ『〜べき』エンジェルになるときがあるのだろうか?
『〜べき』思考はしんどい思考だ。
『〜しよう、〜したい』などの表現をあえて使う。つまり声に出して言うと、『〜べき』思考から脱出する可能性が高くなるかと私は考える。