維新代表「介助費は自己負担で」 れいわの参院議員、特別扱いは「大問題」
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政治参加は事業や雇用といった次元の話と違うのでは?確かに従業員のバリアフリーは雇用主の責任かもしれないけど、議員も含めた国民の政治参加は国家社会の責任ではないかと、思います。投票所がバリアフリー化されてなかったら、問題だと思いませんか?ただ国会議員だからという理由で、特別な介助サービスが受けれるというのは別。どこまでがユニバーサルなバリアフリー化でどこまでが特別なのか、線引きはこれから議論が始まるのでしょうね。こういう議論を通じて、障害者の社会政策が理性的に議論されだすのは良いことですね。
注目のコメント
松井さんの仰るのは、決して障害を持たれる方々の就労を妨げる主張ではありません。
福祉という行政サービスには、必ず予算をセットで考えなければならい。雇用者は働きやすい環境を作る責任がある。働くということは、自立するということ。働くために公的補助を出すという意味、バランスはよく考えなければならない。国会議員を特別扱いしてはならない。国会議員は個人事業主。
https://youtu.be/xkMJf9LNt2Y
ということを本日7/31の囲み会見で仰ってました。
なかなか難しい問題で、今回のれいわのお2人のケースについて、維新シンパの私自身でも、松井さんら維新の考え方に理解はできるものの、それが適切かどうかの自信がなくて悩むところがあります。障害を持たれる方々の自立支援のあり方について、ご当人方だけでなく、国会議員の皆さんで日本全体の話としてしっかり議論していただきたいと改めて思う次第です。
7/31 22:45追記
今のところ、せやろがいおじさんと乙武さんこコラボ動画のメッセージが一番、そうだなぁと感じてます。「障害が理由で政治に参加できないということがあってらならない。ここは何が何でも環境整備する」こういうメッセージ、共通認識が、議論の大前提にあるとよろしいのではないかと思いました。
https://youtu.be/caLesXp3-20これは「障がい者はどうせ働けない」「働けるような障がい者は、どうせ大した障がいではないのだろう」と言う前提で進んできたルールを誰も見直さなかった、と言う政治の手落ちと言う話ですよね。
実態は「働けるが介助者同伴でなければ生命を維持できない日本人」「働きたいと思う重度障がい者」も存在するし、技術の進歩で可能になった面、なっていく面もあるはずです。
普段は「失敗しても再チャレンジできる社会へ!」とか主張している人が、本件については「議員歳費は高額なのだから自腹!」とかで突き放すのは何故でしょうか。
このルールでは、何かの拍子に重度障がい者となったら、たまたま山本太郎氏のような人物と出会って国会議員にでもならない限り、再チャレンジなどできなくするルールと言う話じゃないですか。
介助者費用を議員歳費から捻出すれば、他の議員よりも議員としての活動が制限されますよね。
「議員歳費から捻出すれば良い」と言う意見は、「障がい者は健常者みたいに仕事するな」と主張するのと等しいと思いますけれども。
「生活するのにあったら便利な費用」ではなく、「身体的に生命を維持する費用」ですよ?働けるのだから自腹!・・って相当に問題発言だと思いますよ。
生命の維持費用の支出のどこが優遇なんですか?
従って、自己負担しろ!と言う方が不平等な考え方です。
※しかしコメント欄も「優遇」「正論」とか主張する意見であふれている。
まるでゴジラの出現に対して「議案のための根回しからやっていかないと!」みたいな阿呆な議論にしか見えないです。
生じた現実は「介助者同伴でなければ生命を維持できないが、実際に働ける人」が本当は存在したが、今までの政治はそこを見てこなかったので、突然の出没に見えてルールの問題で騒いでいる、という話でしょう。
今までの政治がどっち向いて仕事してきたのか、本当によく解る話。
特に技術発展の側面から言えば、この手の手落ちは政治にも法曹界にも多すぎます。
例えばインターネットの出現について法整備が全く付いていけてません。
http://hirorin.otaden.jp/e226018.html
こんなのルールの手落ちなのだから、まずは特例で国会議員に適用し、早急にルールを見直して全ての介助者同伴でなければ生命が維持できない人に適用していくべき問題でしょう。
(編集して再掲)特別扱いが問題なのではなく、支援を受けられないと仕事ができない状況にある重度の障害者が、そもそも就労中は公費の介護サービスが受けられない決まりになっていることが問題。
これを機に制限のある制度そのものに注目が集まり、制度改革に期待したい。