わが子を「子ども部屋オジさん」にさせる親の特徴
コメント
選択しているユーザー
個人的な感情として「何だか情けないから親から離れたほうがいい」とは思いますが、だからといって社会の問題になるようなことでもないような気がします。時代の変化とともに、今までスポットライトが当たらなかった個人の価値観が浮き彫りになってきただけです。
生産性のある人間として社会に貢献しているのならば、暮らし方はどうでもいいのではないか、とも思います。
注目のコメント
コドオジの問題点は自立した生活を送れているか否かであって、実家に済んでいるか否かではないと思っています。それこそ、立派に働いていても十分な収入が無ければ実家に住むのは節約術の一つだし、親の介護など親族都合で自由に住む場所を選べないケースは多々あります。住む場所(部屋)はあまり関係ないかと。
自立した生活を送れないままコドオジになった人は、そもそも事実に対する危機感が無いと聞きます。「親が亡くなったらどうするの?」と聞いても「なんとかなるんじゃない?」と。実質的に社会に独り立ちしていないから、自分が社会で生きていけるかどうかも判断できないのです。そう育ってしまったのは親の責任でもあると思うので、記事に書かれているように、自立心を養うことは重要かと思われます。
ただ、これからの世の中は、勉強も仕事もフレームワークが無くなり、自ら動くことを前提とする世の中になっていくので、必然的に自立心が養われる人が増えるかとも思います。コドオジもそんなに悪くない。
いまも京都の実家にコドオジにしながらアーティスト活動を続け、先日ついに念願のさいたまスーパーアリーナ単独公演を果たした岡崎体育さん。
素晴らしい楽曲の数々は昔から変わらず学習机で作られている。
https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/okazakitaiikuはぁ…。
そもそも「子ども部屋オジさん」とか「コドオジ」とかいう勝手なラベリングがもうね…。
こういう①物事を単純化し②ラベルを貼り③問題意識を植え付けさせるような記事を見ると、正直ウンザリする。
「筆者の思う条件」とかマジでどうでもいいし。造語でしょ?