イチローと松井秀喜の野球指導観。共通する、データ偏重への違和感。
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スポーツの技術や戦術などの知識が豊富で、データ通りに指導をするコーチは日本にたくさんいる。
しかし、それに併せて選手やチームのマネジメントができるコーチはほとんどいない。だからコーチがいなくなったら選手やチームは崩れてしまう。
コーチはあくまで選手やチームを導く存在。
コーチがいなくても、選手やチームが目標に向かって主体的に行動できるよう、マネジメントをするのがコーチの役目なんじゃないかな。
注目のコメント
イチローさんがなぜ「コーチ」ではなく「インストラクター」のタイトルになったのか。
メジャーの監督やコーチは日本と異なり、必ずしも(実績を残した)いわゆる"一流選手上がり"ではないこと。むしろ、一流選手上がりの監督、コーチを探す方が難しいのが現状で、ある意味、マイナー選手、マイナー球団のマネジメントを経験した人材のセカンドキャリアとしてのポジションであり、引退後、コーチとしてのマネジメントスキルを勉強し、適正のある人材のみが生き残れる環境にもなっているようにも見える。
よって、練習のバッティングピッチャーをすることはあっても、コーチとして技術的指導をすることはほとんどないのが現実。イチローさんに求められているのは、まさに他のコーチとは異なり、スキルや思考を含めた総合的な野球脳をインストラクトしてほしいという背景があったのではと、勝手ながら推測している。単に勝ち負けを競いながら楽しむゲームではなく、あくまで勝ち負けをまずこだわる競技化が先鋭化してきていますね。
もちろんプロなので、勝ち負けにこだわるのは当然ですが、それを楽しくないと見る見方もありますね。
しかし、データに依存した競技の先には、データの裏をかくことの出来る優秀な選手が揃った、また一段高いステージに登った競技が待っているのではないかと思います。
多分それは、観客もプレーしている側も、ファンタスティック!なものになると思います。
イチローや松井がどのような野球の先を描いているのか分かりませんが、今は過渡期のように思います。これはどの業界でも言えること。
とは言ってもデータ偏重は正しいことです。
『正解のコモディティ化』。
データは確率論であり、その確率論に基づいて試合や仕事をするのは当たり前。
ただし、だからこそ「データでは出てるけどちょっと待てよ・・・。」と考えられる選手やビジネスマンがこれからのデータ&AI時代を生き残っていきます。
データがあるからこそ、データの裏をかく。
そのイタチごっこなんです、結局は。