「大人になったら何になりたい?」はなぜタブーなのか
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子供の頃、聞かれるたびに困っていました。
何になりたい、って言われても特になくて、
でも大人の顔色を伺って、言わないといけないんだろうなと思い適当にその場しのぎで答えていました。
「何になりたいか?」はうまく答えられなかったけど、
「どんな大人になりたいか」「どんな風に働きたいか」は
頭の中にはっきりとイメージがありました。
でも一度も聞かれたことがなかったので、言語化することはなく。
タブーというか、子供に職業聞いても範囲が狭すぎて難しいし、むしろひとつの職業に限る必要もないしな、と思います。
注目のコメント
ちょうど1週間前に小学3年生の娘が宿題を持って帰ってきました。
「あなたの身の回りで困ったと感じたこと、もっとこうだったら便利なのに、というものを5つ考えてきてください」という内容。
いつもの国語や算数の宿題とは違って、娘は頭を悩ませていましたが、私はなんて面白い宿題だと思いました。
たしかに『どんな問題を解決したいか?』を自発的に子どもに考えさせる機会はもっとあってもいいかもしれませんね。
その宿題を提出した後、「ではそれをどうやって解決するか?」を考える授業になるといいなと思います。「何になりたいか?」の答えは、身の回りのものにならざるを得ない。視野が狭い子どもには、酷な質問かもしれませんね。その点、「どんな問題を解決したいか?」という問いは、職業関係なく前者の問いよりも掘り下げて考えられ、かつアプローチが一つではないことも学べますね。
「将来何になりたいのか?」に対する子供たちの純粋なアンサーを、質問した側の大人が台無しにしてしてしまうことがあるという意味でも、この質問は非常に難しい。
例えば男の子が「お花屋さんになりたい」と言ったときに、「それはあなたのなるべきものではない」というようなリアクションや、マイナスな表情を周りの信頼する大人から浮かべられたら。
子供たちの選択肢は、大人たちの無意識なリアクションによってどんどん小さくなってしまうかもしれない。