バンクシーのネズミはなぜ傘をさしているのか? ストリートの現実主義とファンタジー
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ピックしていただき、ありがとうございます。
「バンクシーは反体制なのに、都知事が記念撮影なんて....」という声をちらほら見聞きしたので、そこにこだわると本質を見失うなと思ったので、記事を書きました。
バンクシーは「ゲリラ的に無許可でストリートや建物に作品をつくる」という行為自体が暴力的に見えたとしても、作品のメッセージの内実は決して暴力的ではなく、ファンタジーや子ども心を訴えていることが多い。政治的なスローガンを殴り書きしたりはしないんです。
今回の件で「あの作品、本物なの?」「いくらになるの?」と、真贋と値段にこだわっている人が多いですが、なぜバンクシーが匿名で活動を20年近くも続けているのかをまず知ってほしいです。
美術界では「どこの誰が描いて、どんな人やギャラリーが作品にお墨付きを与えたか」という”来歴”で作品の値段や価値が決まりますが、そのシステムにバンクシーは異議を申し立すために、自分自身は匿名で活動しているのです。
バンクシー本人が描いたらアート、違う人なら「落書き」、高名な批評家や偉い人が認めたらアート、値段が高いから素晴らしい作品、、ではなく、まず「この作品は何をどうやって表現したのか」をみてほしいし、そこで評価されるべき」という考えもあって、バンクシーは匿名で活動しているのです。
...という訳で、本物なの?値段はいくらなの?と聞く前に、まず作品を見て、自分自身で何を感じたのか、どう思ったのかをもとに、判断してほしいですね。
ただ、この作品はすでに今年1月、東京都によって撤去されてしまったので、なぜバンクシーがあの場所に傘を持つネズミを描いたのかがわからなくなってしまっています。なぜならバンクシーは、防潮扉と周りの風景すべてを借景して描くアーティストで、ネズミと扉と周りの風景がどのように構成されているかが肝だったはず。ストリートアートはストリートで生きてる、というのはそういう意味でもあります。"美術界では、作品の真正や価値を決めるのは、「どこの誰が描いて、どんな人が作品にお墨付きを与えたか」という来歴が重要視されるが、それよりも「作品自体が“何をどう表現しているのか”で評価されるべき」という考えもあって、バンクシーは匿名で活動している"
"このようにバンクシーの作品は、街全体をキャンバスに、周りの風景を借景として「絵」を仕上げるので、絵の部分だけを取り外してしまうと意図がわからなくなってしまうことが多い。よって、描かれた場所に作品が存在することに意味があったのだが、残念ながら今年1月に都庁は絵が描かれた鉄板を防潮扉から取り外してしまったので、このアンブレラ・ラットと防潮扉、周りの風景とが、どのように交じり合って作品が構成されていたのか、いまはもう検証することができない"ドキュメンタリー映画『バンクシーを盗んだ男』で、ベツレヘムの壁に描かれたバンクシーの絵を現地の商売人に壁ごと剥がされ欧州のオークションにかけられたが買い手がつかなかったように、作品を文脈から切り離して見せびらかす都知事の野暮さが際立つような記事でした。