結婚とはなにか。夫婦とはなにか。私たちが「契約結婚」に至るまで。
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右手と左手は心がひとつです。心がひとつだと一方の悲しみは双方の悲しみとなるので、右手が左手を縛りつけることはありません。このように右手と左手の関係を思い浮かべることで心がひとつなのかバラバラなのか、それが愛なのか愛ではない何かなのかがはっきりします。例えば愛と必要はしばしば混同されますが、愛は相手に自由を与え必要は相手の自由を奪います。
多くの夫婦が愛と必要を混同し、信頼と期待を混同し、助け合いと依存を混同し、相手の自由を奪うため心がバラバラになり、やがて破局を迎えます。愛も信頼も助け合いも相手に自由を与える心がひとつな証拠であり、必要と期待と依存は相手の自由を奪う心がバラバラな証拠です。自分で自分を大切にして幸せを自給自足できるほど相手に自由を与えられます。結婚を相手を縛る道具にしてはなりません。
注目のコメント
随分理屈っぽい。本人の中に存在するモヤモヤをどうにかして理屈で納得しようとしているように思える。
「本来、制度は人を縛るものではなく、人を自由にするものである」とありますが、僕はそうは思わない。制度というものは人をあるある程度縛るものであり、不自由なものです。ですが、人間は不自由の中にいないと自由を感じられないのです。縛りのある制度とはむしろ人に自由を感じさせる意味を持つものと言えます。人は完全に自由にさせられたら不幸を感じますよ。なんかこういう生き方の自分カッコいいでしょって浸ってません?
お互いの両親が介護しなくちゃならなくなったり、親族が亡くなったり 親戚になったりした時に 面倒なことにならなきゃいいけど。お互い関係ないでスルー出来りゃいいですけど。
お金が絡んでくる事になると大変ですよ。自分達だけの問題ではありません。
子育てにシフト制ってのも全く理解出来ない 賛同出来ないですけど 病気になったり 自分が病気になったりした時にどうするんでしょうね。男女の体力差も有りますし、夫婦助け合って思いやり持って子育て出来るんでしょうかね。子供が不幸にならなければいいですけど。
歳を重ねて夫婦平等で有り続けられるとは思いません。