市民が行政権力に関わることができないという民主主義の欠陥――沖縄県民投票について考えるために
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注目のコメント
なるほど、間接民主制では代議士を選挙で選ぶことしかできないので、主権とは立法権と対外的な自衛権しかなく、国民主権の民主主義といっても三権のうち1つにしか積極的に関われない。行政も司法も、より間接的にしか関われない。
特に行政権に対する主権の関わり方は微妙な問題を孕んでいる。「政治主導」と言われ、高級官僚の人事権を握ることでコントロールを強めていると言われているが、どこまでどのようにやるのが良いのかについては難しい。更に、地方行政と主権(=国家の立法権)との関わりはもっと微妙だ。
國分さんが仰るように、近代民主主義の政治哲学において、行政権の拡大について、必ずしも建前以上の理論的な整理がされていないという点は注目に値するだろう。
なんの為に近代国家が生まれたのか、21世紀の地球人類はどこに向かって行くのか、ということも考えなければならない気もします。国内政治の正当性で最適化することが、必ずしも「良い」とは限らないので。
戦争する事になったら、国家に頼ることになる。もしくは住民投票で「うちの市は関係ありません」と宣言しますか。
Matsunagaさん
私もちょうどオルテガ読んだところでした。
https://newspicks.com/news/3647994/ちょうどEテレの100分de名著で同じ東工大の中島岳志さんがオルテガの「大衆の反逆」を取り上げてますね。
当時世界恐慌後のファシズム独裁を生み出したのも特殊なポビュリズムの帰結とも言える。独裁者と官僚による実行力は確かにパワフルだが、独走を止めにくい。
現代を中世の再来と予言した堺屋太一も鬼籍に入り、「大衆への反逆」を著した西部邁も居なくなったタイミングで、國分功一郎や中島岳志のような哲学者や政治学者の話に耳を傾けることも必要な気がする。
少し前なら左派のレッテルを貼られるだろうが、彼等は思った以上にバランスの取れた論旨を展開し、対話に大して開かれたスタンスを持っているように思えるので。
大場さん
オルテガも行動し、民衆に裏切られつつも最後まで信じていた人でしたね。
國分さんは、中動態の世界の市民講座を藤沢で受けたことがあるのですが、参加者の質問に丁寧に答えてたのが印象的でした。
昨日のサロンでも感じましたが、バックグラウンドや専門、ひいては思想や志向が異なることを前提にした建設的な対話って、究極の社会システムだと思いますね。長文でかつやや学問的で読みにくいですが、書かれていることは至極全うに感じます。
建前上は、選挙で立法府の構成要素たる議員と、そこから選任される行政府のトップを選挙で選んでいることが、
「民主主義」の大原則ですが、行政府の権益拡張及び複雑化と、立法府及び行政府トップの堕落で、
「民主主義」といいながら、国民の声が統治機構に届かず、関与も出来なくなっている事はその通りに感じます。
解決策としての住民投票を活性化させるというのは、アリでしょう。
IT技術の飛躍的革新で、選挙のコストは現状よりもっと落とせるはずであり、制度設計次第では有用な意見反映方法になりそうです。
問題を言うと、投票で問う内容の妥当性です。
先日の沖縄の住民投票のように、国政に関わることを沖縄だけで聞いてもその有用性は極めて低くなってしまいます。
その辺りの制度設計は大きなテーマになりそうです。
あと、住民投票の結果と立法府の方針が真逆だった場合、ちぐはぐな行政運営になってしまわないか心配です。
そこを取り持つのが立法府のトップで国民の代表である立法府から選任されている国務大臣なのでしょうが、
果たしてそういう能力を持つ人が国務大臣になれているのかどうか。
とにかく、こういう国や地方自治体の統治機構に関する議論はもっとされてあるべきだと感じます。