「権限集中、経営者の倫理観に問題」、日産特別委が初会合
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抽象的に一強体制を否定すると、取締役会議長兼PDG(CEO)制をとるルノーの統治構造を否定することになる。
将来、ルノー日産が持株会社になったときにも、一強体制を否定することになる。
ルノーの取締役会には、各層の従業員代表の取締役が必置される。将来の持株会社でも同じように従業員代表の取締役が必要になり、現日産の従業員代表も子会社代表として取締役会のメンバーになる。この構造を、フランス政府は、ブロックしてくることだろう。
買収防衛の必要性からの株主平等の否定と現代版リーダーシップ理念を受け入れるフランス政府や、一強体制をその統治構造(議長兼PDG)で具体化したルノーと、日産は合意できなくなる。
「百人の愚者よりも、一人の賢者」という古代ゲルマンからの規範観は、強い人権観念を土台にしなければならないがはずなのだが、ナチスの指導者理念という大失敗をしてしまったという経験が活かされていない。
だから、日本での一強批判は、個人的属性や倫理観を攻撃する以外になくなる。つまり、「賢者」ではないゴンさんを選んだ「長老会」がおかしいという、なんとも陳腐な発想でしかなくなる。しかも、選択基準に、功利主義的インセンティブ観が反映されると、歪なガバナンスになる危険性が高い。
いっそのこと、組織・団体の長は全て、無償奉仕職にすればよい。報酬は、金銭や地位ではなく、達成感であり他者による認知・評判だ。高い報酬でなければちゃんと働かないという人は願い下げだ。
高い報酬の役職のほとんどに疑惑がつきまとう。首相、大統領、委員長、会長、....。
しかし、株式会社を人的団体(ソシエテ・アノニム)と考える観念の強いフランスでリーダーシップ論が成立するのは、根底の人権観の質が濃いという幻想からだろうか。議決権行使助言会社や主要な機関投資家が、日産の役員選任についてどのような権利行使を行なったのか(推奨したのか)ぜひ比べてみたいと思います。運用会社はスチュワードシップをしっかり発揮していたことを世間し示すとても良い機会でしょう。
強力なリーダーシップによるプラス効果と権限集中による弊害は紙一重ということ。今回の日産問題を見ていると、ある程度の期間を超えると「弊害」の部分がより強く出てきてくるような気がする