観光資源としての「武道ツーリズム」 先人の精神性を再発見するきっかけに
コメント
注目のコメント
剣道歴23年目ですが、海外から友人や知人が来るとぜひ体験させてくれと言われます。
そういう場自体は容易にセッティングできるのですが、実はそもそも剣道を言語化することが日本語でさえも至難です。たとえば、礼節の意味合いはもちろん、禅(剣道では黙想といいます)、守破離、ひいては間合いや呼吸、克己心といったものを実際の試合動画を見ながら解説するのは、剣道の経験というより表現力が関わってきます。
他意なく書けば、武道を数十年嗜んでいる人の大半は警官か刑務官が教員で、必ずしも英語や日本語での表現に堪能ではなく、他方で心身に刻まれ地肉となった境地があるのも事実です。真面目に僕も何かしたいのですが、この点の架け橋的な人材が増えれば国内外での武道への理解深化にもなるだろうと感じています。日本の武道は勝敗というより、
【常に自分との戦い】
【美徳を重んじるもの】のようです。
※もちろん戦いの観点もある。
そこに【スポーツ】という
外国のパフォーマンス的な観点が入り、
【BUDO】になることは
少し寂しさを感じます。
※柔道しかり。
だからといって
【武道】に執着することはありません。
日本は【サッカーというスポーツ】に
【清掃】という観点を取り入れ、
WBC台湾戦では、
互いに検討し合えています。
これはベースボールではなく
【野球】なのです。
※日本での定義
だから今後は
サッカー=蹴球
アメフト=鎧球
ゴルフ=孔球
ボウリング=十柱戯
テニス=庭球etc
を、確率して欲しいと
感じています。
※長文、他力本願で申し訳ありません。