【図解・保存版】あなたの中に眠る、“天才”を開花させる方法
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本書の中では「天才」「秀才」「凡人」の3つの人格があるとされていますが、個人的には4つめの人格として「餓鬼」があると思っています。
「餓鬼」とは、
「もっとお金を持てば幸せになれるはず(お金が無いと幸せになれない)」
「もっと成功すれば他者から大切にされるはず(成功していない自分には価値がない)」
という飢えや渇きの感情で、
これこそが消費経済を生み出し、資本主義を発展させる大きな原動力のように感じています。
(もちろん、餓鬼に由来しない「純粋に世界をより良くしたい」「他者に貢献したい」という動機による消費や起業もあって、時代を経るごとにそのような消費や起業は増えているように思います)
これまで起業家や経営者と接してきた肌感として、幼少期の心の傷や「他者を見返したい」という怒りのエネルギーを原動力として走っている方が一定数いらっしゃいました。
こうした負の感情を源とした行動は、短期的には売上と利益を生み出すこともあるのですが、長期的に見て良い結果は生みません。
負の感情にドライブされて資本主義的な拡大を志向した企業体(創業者)は、どこかで崩壊するか、もしくは成功の過程で経営者の中の「餓鬼」が癒やされることでサステナブルな企業体(エコシステム)に転換していくように思います。
感覚としては「天才」と「餓鬼」はセットで存在することが多く、
他にも「秀才」と「餓鬼」、「凡人」と「餓鬼」という組み合わせもあります。
自分の中の「餓鬼」をいかに癒やすかが、真に幸福になるうえではとても大切です。
また、「何故、天才と秀才と凡人は殺し合うのか?」という問いへの答えも「餓鬼」が握っているはずです。
自分の中の「餓鬼」を癒やせていない人ほど自信が無く、自分とは異なる他者を排斥し殺したがるからです。
上で「資本主義は餓鬼によってドライブされている」と書きましたが、
世界中の人間の中の「餓鬼」が癒やされるに従って、資本主義の次の社会システムの姿が見えてくることでしょう。
注目のコメント
佐藤留美さんに取材して頂きました。
『天才を殺す凡人』(日本経済新聞出版)は「天才と凡人」の話ではなく、「コミュニーケーションの断絶を防ぎ、なめらかな世界を作るため」の話。そのために分かりやすいアイコンのキャラクターが6名登場し、「実際のビジネスシーン」を元にしてぶつかり合います。ただ、その天才、秀才、凡人も実は相対的な存在。移り行くものです。
最大の見所は「誰が、あなたの中にいる天才を殺すのか?」です。
この点は『マーケティングの仕事と年収のリアル』の著者、山口義宏さんがこう考察をくださりました。
>(この本は)タイトルは過激に見えますが、天才(創造性)、秀才(再現性)、凡人(共感性)と、それぞれの強みを分け、それを事業フェーズのなかでどう活かされていくのかを、ストーリー形式で語られる素晴らしい本でした。
>まるで人が、天才、秀才、凡人に大別されるみたいに見えますが、それぞれの人のなかに3つの顔があるというのも納得。
>極めて普遍性が高くシンプルだけど、ビジネスの現場で実感のわく、味わい深いフレームワークとストーリーでした。
素晴らしい考察、素晴らしい記事をありがとうございました。ジーニアス(天才)という言葉は、もともとラテン語の語源としてその人が生まれ持った能力のことを指します。だから、大学院時代に教授から、「君のジーニアスは何か?」と問われていました。
この記事にある、持って生まれたカードを大切にするってきっとそういうことですよね。それが創造性なのか共感性なのか、なんなのか。自分が持つ強み(ジーニアス)がフルに発揮出来る場所にいる人が幸せなのだと思います。そこにいないのであれば、その場所に行くために何回も失敗を繰り返して行くしかない、手に入れるしかない、と思います。
個人的には凡人とか天才というより、0-1が得意な人、1-10が得意な人、10-1000が得意な人みたいな方が分かりやすいかなと思います。何気に日本企業で一番足りないのは1-10だと思ったり。。この世界は、天才と秀才と凡人で出来ている。でも、三者は殺し合うことがある──。というインパクト大な書き出しではじまるベストセラー『天才を殺す凡人』。
しかし、著者の北野唯我氏は天才を礼賛しているのではなく、むしろ、どんな人の中にも”天才”がいて、その才能の芽を紡いでいるのはむしろ自分なのかもしれない、ということを示唆しているのです。
では、自分の才能を”殺す”存在とは何か? 本稿をお読みいただければ、その存在と、才能を開花させる具体的なヒントが得られると思います。どうぞ、お読みください!