なぜSNS上で文脈にそぐわない切り取られ方をされて燃え始めるのか考えてみた
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Twitterを見始めてちょうど1年くらいなのですが、万人に通じる表現というものは無いのだと理解しつつあります。多様な意見があっていいなあなどと言ってられないレベルの話ですね。誤読and/or切り取り。
意見の賛否を問わず、発信者の意図するところを理解した上で、きちんと言葉を尽くして説明できる人が発信力を高めて誤解を逐次解いていく以外に解決策がない気がしてきました。すごい手間ですが。
noteなどの目につきやすいメディアは意見を補強できてよいですね。書き溜めていくといい武器になりそうです。
本筋と関係ない話ですが、反対意見を言うにしても、陰気臭くなくねちっこくなく、議論したくなるような明るい言葉を選んでくれる人ばかりだとよいのですけど、そうでない人が結構いますね。乱暴な言い方、酷い嫌味、いずれも意見を述べるのにそれが必要だと思えません。明るくハキハキと意見しましょう。それだけでも発信者の負担感が減って、いい議論につながりやすいのではないかと。
大事ですよこれ。あまり酷い言い方すると誰だってMP※減ります。MP高そうな落合さんだっていくらなんでも無限ではないでしょうし。
※MPというかSAN値?SNSの組織文化は、UI、初期ユーザーを誰にするか、規模、運営者の組織文化等に影響されると考えています。
人は、オレンジになったり、紫になったり、水色になったり、カメレオンのように変色するのではないかと。言語というものの性質上、どうしても文脈が無いと「Cだ」だけでは真意は伝わりにくいもの。
また人間の性質上、文脈がない以上、「Cだ」をまずは自分の一番理解しやすいように理解する。
それを防ぐ(または緩和する)には、やはり面倒くさくても「C」の土台である「A」の存在を示すもしくは示唆する必要があるのではないかと思います。
また、ある事象を「A」の分野から見ると「Cだ」という発言が妥当でも、
「A'」という分野から見ると「C'」という考えの方が妥当という結論になることもあります。
私の考えでは、「D」と「C'」はSNSという開かれた場で「C」を議論する際には、等しく尊重に値するものとなります。
ともあれ、落合さんと荻上さんのやり取りは
拝見しててとても面白いものでした。