傷つくことが怖くて、作品の発信に尻込みしてしまう人ための処方箋。
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スマホネイティブの方やユーチューバーやブロガーなどネットから登場した方々、間に編集者やディレクターの入らない情報発信を自然にしていますが、これは少し前の世代からするとものすごく特殊な作業です。かつてはインディーズバンドですら、ライブハウスのえらそうなおじさんに選別されていたわけです。私自身、ブログなどはほとんどやったことがないので、基本的には、新聞記者であればキャップやデスクのチェックを受けていたし、今も基本的にすべて原稿はプロの編集者に出すスタイルから抜けてはいません。特に若い頃は、自分の書いたものがどれくらい冴えているのかどれくらい陳腐なのか、うまいのかへたなのか、よくわかりませんから、プロに太鼓判を押してもらうことは重要なことでした。この記事に出てくるクリエイターも、似たような感覚なのだと思います。
いわゆるプロの目が入っていない生の作品というものを発表するというのは、最初の批評を素人集団である大衆にゆだねるわけですから、とても勇気がいることだろうし、リスクもあります。心無い罵声に傷つくこともあるだろうし、でしゃばりな印象をもたれるのを嫌う日本人の性質を考えればなおさら、ハードルは高い。見る側としても間違っていたりものすごくレベルが低かったりするあらゆるものから素敵なものを探すのは大変です。
しかし、最初は自己顕示欲のかたまりのように見られていたブロガーやユーチューバーが圧倒的に大衆の支持を得ていることを考えると、大衆はプロの目を通したある程度の品質保証がされたものよりも、生で新しいものを求めていたのかもしれません。
怖いのは、大衆受けするものだけが生き残り、難しかったりとっつきにくかったりするものが共有されなくなることです。すでに、ネット有名人出身の人たちはどちらかというと大衆受けするものをつくるのが得意で、論文や文学を書くタイプではない人がほとんどです。別に私も彼女たち彼らのつくりだすものも好きですが、数千部しか刷られていない本こそ、本当に質の高い面白いものがあり、小さい出版社に素晴らしい編集者がたくさんいます。
ですから、ネット上にあふれる生の情報については限りなく心の参入壁は低く、しかしプロの作るものは作るものできっちり存在意義を果たしていく、そこの参入壁は従来通りきっちり高いものを維持していくという二正面作戦でいくことこそ重要であるように思います。気にしないこと、そして思い込もうとしないこと。
いろんな人が言うことを気にしていると、どんどん媚びた行動になってしまう。
実は言っている方もたいして考えていないことが多い。他人を批判する人たちは、自己肯定感が高くないからそうしてしまう。
そんな人たちが言うことに振り回されるのは馬鹿げてる。気にしなくていい。
自己肯定感を高めようと、自分は大丈夫だと無理に思い込もうとするのもやめる。そうずれば楽になりますよ。