研究者のスケベ心が論文の出版・査読の問題を生み出しているのだ
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昨晩削スレでsatoさまがシェアしてくださっていた研究者「何者でもないおっさん」のゼロベースで考えたという現行の科学アプローチへの提議に対する、海洋系研究者の考えをまとめたノート。参考になる。
一連のツイートや記事を見て、若手はどのようなスタンスでどんなアプローチで何を目指すべきなのか一度己で考えるべきなんだろうなと感じた。
追記
そしてやはり最近はライターさんが取材して纏めた(歪曲した)記事よりも、現場のリアルな障壁と対峙する本人の声が最もアツく重く思いが伝わるように感じるし、そんな記事が多くなってきている。発信する (読者にリーチできる) 場の整備に伴い、そのような時間を確保することができるようになってきたということだろうか。
論文を書く価値と記事を書く価値、コメントを書く価値が個人内外で大きく異なるように、その重み付けと時間的割り振りを意識しなければですね。お叱りを覚悟で、ワタシの分野内のみでのワタシ個人の印象を述べますと、ニホンの研究者の方々で、満足いくレベルの査読をしてくださる方は殆どいらっしゃいません なので査読のお願い自体をしなくなりました
同様に、associate editorとして査読者選出をお願いしても、満足いくレベルの査読者を探せる方は殆どいらっしゃいません なので査読者選出のお願い自体をしなくなりました
中国も以前は似たような感じだったのですが、数が(モノスゴク)増え、お願いせざるを得ない状況が続いているうちに、最近は半数ぐらいは満足のいく仕事をして頂ける方々がいらっしゃいます つまり経験をお積みになった、ということです こういうところにも、研究者全体のレベル格差が現れ始めていると思いますねぇ
ナマイキ言ってスミマセン ニホンの若い方々に、少し届けば、と思って書きましたその通りですね。
『研究者にとって、査読が無償であることそのものが問題なのではない。問題なのは「無償で査読する労力を出版社に搾取されている」ということなのだ。』
当方本寄稿について同意です。