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古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

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コメント


注目のコメント

  • 救急医/公衆衛生学修士/こびナビ(CoV-Navi)副代表

    いや、方向性としては古市さんと落合さんの言っていることは間違っていない。むしろこの記事の方がmiss leadingだ。
    医療経済については誤解している人が多い、というかほとんど誰も正しく理解していないと言ってもいい。
    まず、政府としてどの分野に医療費を支出すべきかということと、倫理の問題として人の命はお金に換えられない価値のあるものだという議論を混同してはいけない。
    人の命はお金に換えられる、これは医療政策を施行する立場に立つと明確な事実である。
    何故なら我々の経済活動は全て健康を増進する目的に使われているわけでは全くないし(しばしば逆である)、そもそもそんなこと言うなら心臓移植をアメリカに受けに行く子供の治療費を寄付なんかで賄わずに全額国費で支出すればよい。
    そして意識の回復の可能性がない(100%予想できるのかという倫理的な問題は水掛け論になるので避ける)患者に対して行う治療は、cost-effectiveではないことは科学的に容易に証明できる。
    確かにトリアージの黒タグと本件は全く関係ないが、budgetをどこに使うかという建設的で科学的な議論を倫理の問題にすり替えていては、いつまで経っても経済効率のよい医療などできないのである。


  • 医師・医療経済ジャーナリスト 南日本ヘルスリサーチラボ 代表

    終末期医療は「高額」だから問題なのではなく、「患者の幸福な人生に向き合わずお得意の医療的ルーチンワークに終止している(その場合医療費も必要以上にかかる)」からこそ問題なのだと、個人的には思っています。国民の多くがそう感じていることがこの議論の根底にあるのではないでしょうか。


  • デス・カフェ@東京主催

    終末期医療を医療費を含めた社会保障費とセットで語れるのは、自分の「死」も他人の「死」もお二人には遠いことだからだろうなぁ・・・

    と感じました。お二人の主張の善し悪しとは別に、デス

    わたしはスパゲッティ症候群のような延命治療はどうかと思っていますが、医療費がモッタイナイから延命治療がムダとも思っていません。最期の最期、ぬくもりがある内は目の前のひとに少しでも長く生きていて欲しい。まだなにか、奇跡的な方法で状況が変わるのではないかと願うご家族や周囲のひとの想いを、モッタイナイからムダと切って捨てたり。嘲笑する方は、「生」と「死」と、それを巡るひとびとの想いを愚弄していると思っています

    そして本当に残念なのは、こうした命とカネの問題を、そこに向き合う医療者の方々がネタにし。平気こきおろすことです。ここには激しい怒りを感じています

    ちなみに終末期医療、特に最後の一か月にかかる費用として年間9千億円という金額がよく出てきますね。この数字は70歳以上の方が年間80万人亡くなり、かつその間にかかる平均費用が112万円という数字から来ています

    一方その亡くなる以前、つまり人生の中で医療費がピークになると言われている70~74歳時の医療費の平均は276万円。75~79歳で308万円です(平成27年時の資料より)

    こうした方々は、そのうち、日本人の「長寿」そのものを目の敵にされるのでしょうか?


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