【ポストLGBT時代】アメリカ色に染まらない多様性を
NewsPicks編集部
208Picks
コメント
注目のコメント
LGBT批判がナンセンスだと思う個人的な理由は、私は生命の仕組みの凄さを信じており、どんな時代・文化・地域にも数パーセントは生物学的に必ず存在するということは種にとっても純粋に生物学的な意義があると思っているからです。多様性を否定するということは自分自身を否定している自己撞着のようなものですしね。
牧村朝子さんにご寄稿いただきました。
「LGBT」という言葉が果たした役割は大きいと思います。
しかし、「米国化」の文脈で広まった結果、2018年は小川榮太郎氏が「日本の伝統」を理由に性の多様性を否定しました。
また、「ダイバーシティ」より「多様性」、「セクハラ」より「性的いやがらせ」と言った方が、分かりやすく、自分ごととして考えられる気がします。すごく合意。アメリカからLGBTという概念が輸入されても、我々の国には我々の歴史がある。
例えば、バイセクシャルなんて貴族の嗜みですらあった国が、なぜ今LGBTを毛嫌いするような風潮がうまれてしまったのか。戦後の占領と不可侵であるとは思うが、そこは論点ではない。
本質は
"男性か女性か、LGBTかそうでないか、異性愛か同性愛か、などといった分類により、その人が判断され、生き方を制限される社会の構造そのものを、わたしたちは問い直さなければならない。"
にある。
人は生まれながらにして異なる生き物である。一人として同一の個体は存在しない。にも関わらず、些細な差を大きな問題として扱い、差別し、迫害し、暴力を振るう。そんなことが許されてたまるか。
「みんなちがって、みんないい」
そういう世界こそが我々の目指すべき世界だ。それこそが本当の意味での世界平和だと考える。