ADHDを公表してみたら、こうなった~普通って、一体なんだろね?(小島慶子)
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注目のコメント
ラジオ番組でヒステリックになったり何かありそうな方だとは思っていましたがお仲間さんでしたか。
部屋が片付いていて収入があると「なんだ、大丈夫じゃないのよ」と言われてしまう事があります。
見えないところで問題は山積みなんですけどね。
嫌なのは「当事者の敵は当事者」になる事。
あなたより私の方が大変、いや私だって大変…等となるのが面倒くさく、
それが理由で私はオフィシャルには障害の事を話していません。
おまけに定型発達の人からは犯罪者予備軍扱いされますし、
有名人でもない限りカミングアウトにメリットを感じません。痛みの格付けランキング
政策決定などでは、解決するべき課題や支援するべき人の優先順位を決める必要がありますが、個人が感じているしんどさは格付けできるものではないですよね。例えば1億円の借金を抱えて思いつめている人と、失恋して絶望している人とを比べたら、前者の苦しみの方が客観的にはより深刻に見えるでしょう。でも、それは自分がどちらの立場でもないから言えることで、当人にとっては他人との比較は意味がありません。
何が辛いと言って、借金や失恋そのものの苦しさに加えて、その痛みには価値があるかどうかを他人に値踏みされることが辛いのです。そのような「他人を納得させるだけの理由がある者しか苦しんではならない」という眼差しは、人を追い詰め、ものを言えなくします。人は苦しむことを禁じられていると、誰かが「痛い、辛い、助けて」と言っても、手を差し伸べるのではなく「みんな我慢しているんだ、そんなことぐらいで弱音を吐くな」と言いたくなるものです。私たちが今暮らしている世の中は、そんな息苦しい場所なのかもしれません。
私は33歳の時に、産後の職場復帰の不安や生育環境の影響、夫婦関係の悪化などで不安障害を発症しました。カウンセリングで辛い気持ちを訴えながら、こんな些細なことで辛がってしまう自分がいけないのだと繰り返す私に、臨床心理士の先生は「慶子さん、あなたは苦しんでいいのですよ」と言ってくれました。これが回復への第一歩でした。