「知ること」自体に価値はなくなり、「行動すること」に意味がある
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「興味があるということは、何かしら自分と関係があるはずです。その部分を深く知ることは自分を知ることにほかならず、ひいては自分の未来につながります。「機会」は、未来への招待状なのです。」
これには大きく同意します。
ただ、MENSA、ISI、HELLIQという看板を外して読むと、
特段「天才」が言っているとは思えない、ごく平凡なこと。
欲しい情報を誰もが無料で手に出来る時代だから、情報を得ることそのものの価値は薄れて、その情報を行動に活かして自分の可能性につなげることにこそ意味(価値)がある。
情報化社会においては一般論ですよね。
それと、「知ること自体に価値はなくなり」は言い過ぎでしょう。
昨日までは知らなかったことを今日知ったことで、自分の新しい可能性(興味)の端緒になることは、人生が続く限りあると思う。
そうした可能性を知る入り口になる情報を得るための時間は、決して無価値ではなく、その情報がきっかけで行動につながり、結果的にお金になって返ってくることもあるでしょう。
その時々に自分が置かれた状況で、行動を最優先すべきときもあれば、行動よりも沈思黙考を優先すべきときもあると思う。
お金を溜め込むだけでは意味が無くて、使って初めてお金が活きるみたいな理屈ですかね?
天才の言うことは凡人の僕にはどうも腹落ちしないなぁ……(^^;
注目のコメント
「知ること」と「行動すること」が同時並行的に起きていると良いのではと思います。ファーストハンドの体験をすること。そして、それを振り返る機会を持つこと。そしてまた体験する。この繰り返し。
私自身、「この目で見てみたい」という気持ちが強いです。実際に見て、自分のバイアスに気づくことも多々。知識と共に知恵を使って行動する。
問題解決力はもちろん重要だが、優れた人は、問題発見や課題設定にも長けている。
機会を捉え、価値ある行動をする。そのために、機会を見つける発見力や知覚力を高める。
行動しながら、学び続け、そして考え続けることですね。私は、ビジネスやプライベートを通して、心の底から楽しみながら挑戦を重ねていくことで人生の満足度を最高値に高めていくことができるという仮説を証明したいと思っています。
私の性格は器用ではないため、皆が当たり前にできることができずに、小さい頃から悩む場面が多くありました。その中でも、自分が書いた文章で誰かが喜んでくれたり、スリランカやアフリカで数多くの人が笑顔で迎えてくれた時に、もう少し頑張ってみようと自分を奮い立たせることができました。
常に小さな挑戦を重ねることで、ありふれた日常の中から「面白い!」「ワクワクした!」「なるほど!」といった小さな発見や新しい関心を発掘し、それから、小さな一歩を踏み出す。自分が進んできた軌跡を振り返ったときに、「大変なことが多かったけど、有意義だった」と思えるように生きていきたいと思います!