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平成の終わりは、昭和末期の「劣化コピー」である〜ループする衰亡史(與那覇 潤)

現代新書 | 講談社
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コメント


注目のコメント

  • ハーバード大学ケネディ行政大学院

    超面白い。「自と他」「内と外」といった区分というか二項対立的な物の捉え方が時代遅れというか、情報伝達・コミュニケーションが物理的距離を超えて同時性を持つようになった今日日、そういった区分のあわいを浸潤し一体化させるような社会潮流(と社会的要請?)が強まっているのだと感じます。

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    たとえば①「人間なる概念はもはや死語であり、それに囚われずに生きるべきだ」(フーコー)、②「だから人為と自然、ないし人工と自然といった二項対立は脱構築され、今後は意味がなくなる」(デリダ)、③「結果としてツリー状ではなくリゾーム状の、指令中枢をもたない社会が出現するだろう」(ドゥルーズ)。そんな感じの物言いが流行ったのです。
    お気づきのとおり、目下流行の「次に来る社会をこれで生き抜け」本の内容は、これらの思想の変奏です。①は「AI(人工知能)が人間に近づくことで、人間の役割はなくなる」、②は「VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が発展して、現実の定義が変わる」、③は「ブロックチェーンが自律分散型のトークンエコノミーを作り、社会経済を根底から覆す」といった話の元ネタともいえるでしょう(より近いルーツには、重複する時期に流行した複雑系の思想がありますが、今回は割愛します)。


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    弁護士(スマートニュース株式会社/法律事務所ZeLo/NPO法人Mielka)

    平成に生まれた自分には決して知ることのできない「昭和」との対比が身体性をもって語られる興味深い記事。

    『それは人の心こそがいま、最大の――ひょっとすると最後の「資本のフロンティア」になっているということです。』
    ポストモダンも同じような現象に陥っていたことを踏まえると、実はそれよりもっと以前からこれは最大の資本のフロンティアになっていたのではないかと感じます。

    大きな主語を扱う時は注意深くなるべきにもかかわらず、東アジア戦略や貿易戦争、人口減少などよりも「AIによる代替」や「仮想通貨の勃興」が慌ただしく喧伝され、人々が異常な興味を示すのは、後者はより大きなテーマであるにもかかわらず、「個人」に強烈な当事者性を意識させるからではないでしょうか。
    劣化コピーが悪いとは思わないものの、悪しき不安資本主義から冷静に脱却する術は身につけておきたいところです。


  • 株式会社リブ・コンサルティング 取締役

    悲観的ながらも自分たちの置かれている環境を冷静に批評的に観る視点として面白いです。

    「生きる以上はみんな不安を持っていて」「それを煽って次のフロンティアのマーケティングをして潤う人がいて」ということはまさに。昭和の終わりと平成の終わりに相似形で起こっていることで、次の元号の終わりにも同じ構図がきっと現れる。

    でもらせん状に同じようなところをぐるぐると行ったり来たりしながらもちょっとずつ社会は進化していると思いたいです。個人の「自由度」はその性質が変わってきていると思うし「格差」は全然なくなっていないが性質も変わってきていてより選択可能になっている分、前に進んでいると思います。


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