終末期医療:環境整備待ったなし
コメント
注目のコメント
内容次第ですが、期待です。
今の医療は、「生きる」事より「生かす」事が重視されすぎです。それにより、結果として患者本人や家族、医療従事者、ひいては社会が疲弊しています。死生観についての教育と同時に法整備も急がなくてはならないと思います。誰が意思確認するのだろう。結局、病院で死ぬ間際に帰りたいか聞いても仕方ない。そりゃ、帰りたい。
でも、こんな話は医者くらいしかしていない、いや、ほとんどの医者も最後の最後までしていないと言わざるをえない。
また、家族が息を引き取って反応しなくなった時に落ち着いて、家で医者を待てる(場合によっては翌朝まで待つ)人がどれくらいいるのだろう。心電図が平坦になるのが最期だろうか。それとも家族に見守られる中で医師が最期の診察をして、本人、そして、最後までケアをしたりお見舞いに来ていた家族や親族に労いの言葉をかける、その時が最期ではダメなのだろうか。医療者も多くは心電図が平坦になることを必要十分条件のように考えているし、平坦になったらすぐに看取らなきゃいけないと思っている。
心電図モニタもつけず、翌朝の回診や看護師のラウンドで息を引き取っていたら、家族を呼び、ゆっくりでもいいので駆けつけたい方を皆待って、大切な最期の時間を作ってあげるのではダメなのだろうか。
かかりつけ医も総合病院の医者も寿命の話はしない。本人も家族も最期のこと・死後のことを話さない。
家で見ようと思っても不安で救急車を呼ぶ(これはいろんなパターンを説明していない医療者も悪い。そして何よりその不安は当然かつ理解できる)。在宅看取りを望んでいた患者が救急車で来てしまうとなぜ?と思ってしまう。
看取りの瞬間まで、皆が見ているのはモニターの線や数字、家族への労いもなく「慣れた」作業で死亡診断する医師。
問題が山積み過ぎるけど、直ぐにでも変えられるような問題ばかり。目の前の患者さんとくらいは向き合いたい。