アートを感性で語る残念な日本のエリート - 美術作品は感性ではなく理性で読む
コメント
注目のコメント
音楽でもよく言われるが「お勉強」を全くしないのも良くないが「お勉強」しすぎはもっと良くない。
美しい、楽しい、と感じるのは心が赴くままでよく、正解なんてないのでそれで良いからそれこそ簡単だし、心が何かを思ったら何故そう思うのか自然と探究心は生まれるもの。だから自然と「お勉強」することになる。そうやって自分が知りたいと思って得る知識が必要な「お勉強」であって、単に勉強してもなんの意味もないどころかむしろ感受性が阻害されます。
音楽も美術も知識は自分の価値観に基づく感性に立脚して得られたものということが前提。知識や理性は結果として付録で着いてくるものなので、自分の価値観によるジャッジメントが無くて、人の歴史的評価を借りるだけだったり「知識を得るために絵や音楽を勉強して話してるな」って透けて見えたらむしろマズい状況になるだけですよ。相手は知識じゃなくて人の価値観に興味があるんだから。
文化的背景を知りたくなる気持ちはもちろん素敵。でもそれは作品で心が動いてからの話。絵を見て真っ先にキャプションを見に行くような鑑賞、プログラム見て真っ先に曲目解説や演者のプロフィール読みに行くような鑑賞じゃなくて、まず絵を見て、音楽を聴いて、自分がその絵や音楽から何を感じ、心がどう動くかよく感じてから、もし、作品や演者の背景を知りたくなったら調べたらどうだろう?
調べたことでさらに他の美術や音楽に興味を持ったらまたそれを見たり聞いたりして、同じことを繰り返していけばいい。
だから芸術鑑賞は感性が先で、心が動いて自然と興味を持っての好奇心からのお勉強をオススメしたいなぁ。
今サンフランシスコ・オペラの開幕演目のお稽古とか見せてもらってるからますますそういう知識偏重嫌だなと思うのかも。
今回は演出稽古の初日から見せてもらってたのですが、歌手も演出も、指揮者も素敵で、今回はダンサーも大道芸人も役者の稽古もあって。一流のプロが色々試しながら、ちょっとした事の積み重ねで作品がをどんどん締まって美しくなっていく様は本当に心が震えます。西洋美術は特に近代以前は宗教と切り離せませんし、そこに描かれるモチーフを読み解くには教養が必要です。また現代アートも今では美術史を理解しないことには難しい作品も多く、その是非はともかくアートは多かれ少なかれ文脈に依存するものであると言えます。
一方で最近のテクノロジーアートを手掛けるチームラボとか落合陽一さんなどは、意図的にこのような文脈依存のアートと距離を取っているように思います。西洋の文化を覚え西洋人にできる奴と思われるという競技にあえて乗っからない姿勢というか。
そのどちらが良いとは一概には言えませんが欧米(特に欧州)の一部では、アート文脈に通じていることが現時点では「得」な場面があるということについては、そうなんだろうなと思います。美術史や作品の背景の知識だけ詰め込んでも、相手が詳しい人ならこちらの浅学は一瞬で見抜くでしょう。取ってつけた程度の知識を語られても詳しい相手は反応に困りますし、間違いなく場が白けます。
好みを尋ねられた時に、ほんの少し歴史的背景も混ぜつつ語れるのは良い事だと思いますが、そのさり気ないチラ見せ程度の知識であっても、十分なバックグラウンドが必要です。本読んだくらいではとてもとても。とっさに言葉が出てこないと思います。
やはり常日頃から、美術に触れる習慣が必要かと。お金もかかりますし、そこは覚悟を決めて。
個人的にはもちろん打算抜きで楽しむのが好きです。
(余談)
9月からシアター・イメージフォーラムでペギー・グッゲンハイムのドキュメンタリー映画が上映されるようです。こういう美術発展の裏側的な映像を見てみるのも面白いかと思います。僕は観る予定です。
http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/1834/