• 特集
  • 番組
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

差別とは何か?「社会の役に立たない人間は無価値」と信じる人たちへ

303
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


のアイコン

注目のコメント

  • 銀行 法人RM / ブロガー


  • もやしっ子

    「生きる価値がなく、殺されてもよい人間がいる」という考え方と、「そういった人たちを殺す権利が、他ならぬ自分にある」という考え方は、区別しなければならないと思う。

    植松被告の考えを探る上で忘れられがちなのが、後者だ。
    つまり私の疑問は、「なぜあなた個人に、殺されていい人間を判別する権限と、殺人を実行する権利があるのですか?」ということだ。

    思うに、植松被告は、理屈はどうあれ、殺人を楽しんだのだ。
    自らが嫌悪するタイプの人間を殺すことに、喜びをおぼえた。
    酒鬼薔薇事件のように、射精には至らなかったとしても、一種の快楽殺人ではあったのだ。
    そうでなければ、「安楽死させるべきだ」と主張しながら、刃物で殺したりはしないはずだ。

    ただ、植松被告を改心させることがあるとすれば、それは理論や通り一遍の倫理ではないとも思う。
    理屈でいろいろ言っても、植松被告は考えを変えない。
    「罪と罰」のラスコーリニコフを出頭に至らしめたのが、ソーニャの献身的な愛であったように、植松被告にも理屈を超えた何がか必要なのだと思う。

    誰の言葉か失念したが、
    「狂人とは、理性以外のものを失った人のことだ」
    という名言がある。
    植松被告の理路整然とした主張を見るにつけ、この言葉がまさにふさわしいと思う。


  • ディレクター

    役に立つ、立たないというのも結局は極めて主観的な判断であり、どんな人も誰かにとっての大事な人なのだから、不要と決めつけてかかるのはとても悲しい見方だと思います。


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか