NY市、ウーバーなどの車両台数制限案可決の見込み-成立なら全米初
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文字通りディスラプティブ過ぎるイノベーターであるがゆえに、Uberがいま、複数の重層的な問題を社会に突き付けている、それがNYを舞台に起きている格好。
第一に産業移行コスト、これは人類社会が幾多と経験してきました。石炭から石油、パパママストアから大規模小売店等々への移行端境期における雇用移動ラグ、それによる収入保障問題。
シンガポールなど他の都市ではタクシーがUberやGrabのネットワークに入る事により軟着陸出来ているが、NYは業免許がメダリオンといって多額で販売する形を取っていたため、それをローンで買ってしまったドライバーが首が回らなくなり自殺が相次ぐ異常事態にまでなっている。
第二に渋滞
これこそごく過渡期のみで落ち着くでしょう。が本質はディスラプターの急な現出によりレガシー産業とだぶって供給過多になっている点。これも価格下方に働き収入減になる。
第三に人種問題
今回Uber側に加担している黒人団体の主張は、タクシーは拾うほうも黒人に冷たく、運転手になるのも(メダリオンが高額のためだが)黒人に厳しい、それがUber現出によりいずれも変わった、その機会を黒人から奪うな、という主張。
まさにUberによる個のエンパワーメント。
イノベーションがミクロの個に正しく、マクロに厳しいという合成の誤謬問題。
これは例えばジャカルタでヒジャーブを巻いたムスリム女性ドライバーのGrabに乗ったりするだに、日々痛感します。しかしそれにより収入の危機にさらされる一家の大黒柱お父ちゃんタクシードライバーも、他方にいるわけです。
結論、それらは「外部不経済」。
外部不経済が社会に与えるマイナスを内部化できるのは行政のみ。外部不経済には全員が得する解は無い。痛み分けしかない。その大岡裁きが今あらゆる産業、ライフシーンに渇望されている。それが、政治と行政がテクノロジーとグローバリゼーションという現代社会の2大ドライブフォースに精通せねばならない理由です。ニューヨーク市という限られた大きさの自治体で、タクシー・ウーバー以外の交通インフラが充実し、さらに政治的に政府規制を許すリベラルな都市なので可能になるのかと思います。車が不可欠なアメリカでもいくつか似たような自治体もあります。