江戸時代にはお米が「証券化」されていたことをご存知ですか
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今も昔も先物取引とかレバレッジ取引を批判する自称道徳者的な奴がいるけど害悪でしかない。堂島米相場の設立を進言した大岡越前守は急速に進みつつある貨幣経済シフトで一部の武士が困窮しトラブルを引き起こしてることから米価の安定のために、日計りという今で言うデイトレーダーにも一定の価値を認めた。先進的だ。
http://www.manga-news.jp/news/body/1324江戸時代の武士の給料の多くは、お金ではなく米で支払われていました。
つまり米の証券化や先物取引とは、単なる商品取引ではなく、現代でいうところの金融業そのものだったのです。
さしずめ米先物は現代でいうデリバティブ商品だったと言えるでしょうか。
米の先物取引といえば名高いのは堂島米会所ですが、この元祖は日本史上最大の豪商と言われる大阪の淀屋です。
淀屋は米の流通にあたって、現物ではなく手形を発行し、現物を持ってこなくても手形を使って取引できるようにしました。
重い米をわざわざ輸送せず、しかも信用ある淀屋の手形を使えば、あたかも現物がそこにあるのと同じように取引できるのですから、当然皆淀屋の取引所を使うようになったわけです。
当時の流通米500万石のうち、約200万石がこのようにして大阪の淀屋などを通じて全国に流通していたと言われ、これがのちの公営化されたのが堂島米会所です。
因みに一説によれば、最盛期の淀屋の総資産は金12万両、銀12万5000貫、諸大名への貸付金だけで銀1億貫(大半は未返済利息だったようですが)、その他不動産や書画骨董など総額で小判に換算して20億両であったそうです。
これを間に受けると、その総資産は現代価値に直して200兆というトンデモナイものになってしまいますが、半値八掛けとしても途方も無いものであったことは疑いありません。
実在にはそこにないものを、信用によって、紙一枚であたかもそこにあるが如く取引することのできるという金融の秘密に気づいたものが、富を手にできるのは今も昔も一緒だということですね。【日本人の貯金好きの背景は戦争にあり】
江戸時代から米相場があり
信用取引も盛んに行われるなど
日本は投資先進国でした。
1937年の日中戦争開始以降
戦費が莫大に増加した。
大蔵省は戦費調達の為
人々に貯蓄を奨励する
国民貯蓄奨励運動を開始。
勝つために国民は貯蓄という
号令がかかり、結果
日本人は投資好きから
貯金好きになりました。
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※昨日のコメントを再掲します。