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【指導者】マレーシアの闇に挑む、マハティールの時間との戦い

NewsPicks編集部
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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    マレーシアでは選挙で与野党の議席が逆転して政権が変わったのは初めてのことでした。有権者の多くは、政権交代というものに漠然と期待を持ち、何かいいことが起きるに違いない、と思っていた人も多いです。実際、選挙前の野党は高速道路が無料になるとか、奨学金が返還不要になるとか、大盤振る舞いの公約を掲げていました。財源については、「政府は無駄な支出があまりにも多いから、それをカットすればいくらでも財源はできる」と説明していました。
     政権交代後、始まったのは、様々な分野での予算カットです。政府の外郭団体が廃止されたりもしています。期待していたのと、違う、という人も出てくるでしょう。マハティール新政権にも言い分があり、ナジブ前政権が政府系投資会社の損失を隠したりしていたから、緊縮して財政を立て直さなければならない、ということになります。
     様々な補助金は1980年代、90年代の前マハティール政権から始まったものも多いです。その原資は石油と天然ガスです。ナジブ政権でもそういった補助金は継続され、現金の給付なども増えていきました。しかし、多くの産油国で同様に起きたことですが、原油価格が下落し、補助金を続けていくために赤字が膨らんでいくことになりました。ナジブ前首相だけが悪いとか個人の汚職だけの問題ではないです。
     マハティール新首相がやろうとしているのは緊縮財政による財政の立て直しです。しかし、原油価格が上がらなければむずかしい、という外部要素が大きいです。トルコやイラン、南米諸国のような新興国の通貨が下落を続けているタイミングでもあります。マハティール新政権が財政を立て直して再び経済成長の端緒をつくれるかどうかは、外部要因による部分が大きいです。


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    ジョーシス株式会社 シニアエコノミスト

    これは、1990年代の「アジア的価値観」論争の残滓を感じる視点ですね。良い悪いではなく、いわゆる(あえてステレオタイプ的に言いますが)欧米メディア的な、しかもレガシー的な視点が感じられます。ディスコース(言説)解釈の材料として大変興味深く感じました。また一方で、この記事から面白く感じたのは、新政権発足後の役所の様子の生々しい描写。

    1990年代、欧米メディアが必死になって、マハティールや、リークアンユー等々の指導者たちを「経済発展には導いたが、独裁的な手法で人権を抑制しながらやってきた。大問題だ」という時代でした。クリントン政権の人権外交も関係しています。

    私の大学時代の1995年〜99年は、まさにこの時期。アジア通貨危機が発生して、「それ見たことか!」という論調が支配的になり、タイやインドネシア、韓国がIMFのコンディショナリティを受け入れる中、マレーシアのマハティールは、アンワールとの政争のなか、「リンギッとの対ドルペッグ制」を導入。当時、世銀やIMFを初め、世界中のエコノミストが「天下の愚策」と言わんばかりに批判しましたが、結局、当のIMFが後になってマレーシア経済が持ち直した要因の一つにペッグ制があったことを認めています。

    国家債務はGDP比80%とありますが、慎重に議論すべき数字です。「隠れ債務」前の数字は53%程度でしたが、新政権が「隠れ債務」を含めて数字が跳ね上がりました。しかし、この「隠れ債務」は、国際比較で使われる債務よりも広い概念。

    マレーシアで銀行やエコノミストにヒヤリングしましたが、皆、マクロ経済分析として使うには不適切な基準とのこと。昨日、同僚のSPEEDAアナリストと議論しましたが、彼は「新政権が国民に対する心理的効果を狙ったアナウンスではないか」と話し、大変納得しました。現地紙は次のように報じています。

    "Demystifying the debt dilemma"
    https://www.thestar.com.my/business/business-news/2018/05/26/demystifying-the-debt-dilemma/

    総選挙直後の私の分析は下記参照。
    「【マレーシア政権交代】国民の怒りの鉄槌下る。日本への影響は」
    https://newspicks.com/news/3018487


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    (株)TOASU特別研究員(経済評論家・コンサルタント)

    『1981年から始まったマハティールの首相1期目は、マレーシアを中進国へと導いた経済手腕が評価された一方、強権的なスタイルは「開発独裁」とも呼ばれた。22年という長期政権の間、縁故主義のほか、メディアや政敵を弾圧していると非難された。』・・・ マハティール首相がLOOK EAST(日本に学べ)という政策を掲げてマレーシア発展の端緒を開いたのは、日本がバブル経済に向かうまだまだ元気なころのことでした。経済的に自負も自信もあった当時の日本国民は、日本に学べというマハティール首相を開発独裁も含めて暖かい目で見ていたような気がします。欧米とは違い、開発独裁も新興国の発展には必要だと寛容に捉えていた人が多かったんじゃないのかな・・・ 当時の日本で非難の声を聞くことはそれほどなかったような気がします。
    新興国の成長をかつてほど寛容に見る余裕が乏しくなった我が国ですが、93才で頑張る首相がかつての姿と重なって、強権的な手法に懸念はあるにしても、なんとなくエールを送りたくなって来ないでもありません (^.^)/~~~フレ!


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