マケドニア、国名変更でギリシャと合意 「北マケドニア」に
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前にも書いたことですが、この問題のバックグランドを改めて。
日本人がマケドニアと聞くと、条件反射的にアレキサンダー大王の故国かと思いますが、実際には当時の古代マケドニアの一部だったというだけで、直接的な繋がりはありません。
実際にはこの国は長らくビザンチン帝国(ギリシア)とブルガリア、セルビアの争奪の地でした。
特にブルガリアとの繋がりは深く、第二次ブルガリア帝国はマケドニアのオフリドで建国され一時全バルカン半島を支配したほどで、現在のマケドニア人の半数以上はこの時に移り住んできたブルガリア系の人たちです。
したがって人種的にはマケドニア人はブルガリア人と同一と言えます。
ブルガリア帝国が滅亡すると、マケドニアはセルビアに征服されますが、まもなくセルビア王国自体の首都となり、ロシュ4世がスコピエで皇帝に戴冠されるに及びセルビア帝国の首都となりました。
セルビアにとってはマケドニアは帝国時代の栄光を表している場所なのです。
マケドニアは14世紀以降これらの国と纏めてオスマントルコの支配下になりますが、独立した後また一悶着起こります。
第一次バルカン戦争で、この地はブルガリア領となりましたが、これを面白く思わないギリシアとセルビアがブルガリアに宣戦布告。
結局マケドニアはブルガリア、セルビア、ギリシアに三分割されてしまいます。
現在のマケドニアはこの時セルビアが分捕った場所がそのまま独立したものなのです。
独立した後、マケドニアはセルビアも、ギリシアも、民族的には同一なはずのブルガリアとも一緒になることを拒否しました。
彼らは自分たちを、ギリシアでも、セルビアでも、ブルガリアでさえなく、アレキサンダー大王の系譜、古代マケドニアの後裔であると主張したのです。
首都スコピエのど真ん中には大きなアレキサンダー大王の像が鎮座していますし、空港はアレキサンダー大王空港(さすがに今年スコピエ空港に改名したらしい)、国旗はアレキサンダー大王家の家紋をもじったものです。
彼らはギリシアもセルビアもブルガリアも拒否し、バルカン半島を支配したのはマケドニアだという歴史を創造したのでしょうね。
スコピエの街はまるで博物館のようなところで、街の至る所に歴史上の偉人の銅像やモニュメントがあります。
あたかも民族のアイデンティティを持たぬこの国の苦しみを表現しているような気がします。91年旧ユーゴスラビアから独立しましたが、アレキサンダー大王の国家古代マケドニアが、ギリシャ含めた複数の地域にまたがっていた歴史的背景から、勝手に名前を使うなという反発が特にギリシャから強かったこと。
さらにギリシャにはすでにマケドニア地方という同じ名前があったことから長らく認められない歴史がありました。
政権が変わり、未来に目を向けるようになったことが今回の結果になったようです。
FYI
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2009/08/post-416.php27年にわたる論が解消されたということだが、国名を変えるには、単に議会の承認にとどまらず、憲法を変えなければならない。しかし、ゾラン・ザエフ首相の与党には、それだけの議席数がない。ナショナリスト右派と呼ばれる勢力の反発が予想され、まだ楽観はできない。