「会社員ってダサくない?」という若者の本音を会社員にぶつけてみた
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大学院時代、研究者になるのを諦めて、国家公務員試験を受けて落ちました。
落ち込んでいたところ、ある人が「だっさ」と言ってくれたおかげで目が覚めて、次の日には前を向き、そして会社員になりました。
落ちたのがダサいのではなく、肩書きを求めていたことがダサいんですよね。
誰しもがかっこよくありたいもの。
しかし、自分をかっこよくしてくれるのはかっこいい肩書きではなく、ただただその人の生き様なんだと思います。
かっこいい会社員がいたっていいじゃないですか。
ま、私はやめましたけど笑面白い記事でした。下記がとても大事だと感じます。
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河野:「優秀な自分が有名な大企業の会社員になるなんてカッコ悪い」と思うならば、それはそれでいい。多様な価値観があっていいですから。一方で、だからといって他の選択肢を知らない、知ろうとしないというのはもったいないなと思います。
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自分の価値観にあわないものをバッサリと切り捨てるのではなく、ちゃんと他の選択肢をみて、やっぱり最初の判断(価値観)が正しかったと確信できれば、とても価値のあること。視野は広い方が良い。最近、「ダサい」と言ったもん勝ち的な風潮があるように感じます。
「ダサい」という言葉は普遍妥当な価値である真善美におけるところの「美」の部分に該当すると思うのですが、ここの感覚でものを言われるとなかなか真や善の観点から反論ができませんので。
色んな価値観があるよね、というのは真の部分ですしね。
そんなことも踏まえ、「ダサい」を連発する人は、「色んな価値観や捉え方がある」という真の部分の見識がないか、もしくは自信がない故の自己防衛の手段なのではと最近邪推しています。
もちろんそんな感覚はとうに振り切れた上で思想を植え付けるために連発している可能性もありますが。