エベレストで死亡、栗城史多さん 彼の挑戦は「無謀」だったのか?
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注目のコメント
知り合いの登山家に聞いたら、まだ番組で登頂目指すテレビタレントの方がきちんとしていて、彼は必要な努力も準備もしていないと悲しそうに話していた。挑戦と無謀は違う。今回の悲劇でサポートする側もきちんと計画が実現可能か精査するように変わってほしい
記事中の登山ライターの方のブログが非常に印象的でした。
https://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post_9.html
登山ショーならば、それで良いし
本気で登るなら、それで良い。
そのどちらとも分からないのが、栗城氏の活動だった。
中途半端な事をしたい訳では無かっただろうが、
何故、これだけ脚光をあびる人が、
怪しい言葉を一杯使い、目的が見えない活動をしていたんだろうか。
そうしてでも、もう辞められない、
背中を押される力が働いていたんでしょうか。
本人が望んだ、栗城史多像だったか、
周りに作り上げられた、栗城史多を演じていたのか、
今となっては分からなくなりました。無謀であり愚行です。
この方の無謀な挑戦の結果、過去に1人のシェルパが亡くなりました。亡くなった今回の登山でも、シェルパを危険に晒すような行動が見受けられます。
「やりたいことやる姿がかっこいい」などと彼を賞賛するコメントが散見されますが、私にはそんな浮ついた言葉選びはできない。
間接的にも人ひとりの命を奪っておいて、その後も同じ過ちを繰り返した結果が今回の惨事です。
※批判する声を社会の縮図、安全地帯云々と嘆くのは論理のすり替えも甚だしい。皆さま懸命に生き、追いかける目標があるはず。懸命だからこそ、サポートした人を次々に裏切り逝った彼を手放しに尊敬できないのかも知れません。
加えてその中に、彼のように学習すること無く浅はかな蛮勇を繰り返し、人ひとりの命を犠牲にした人がどれだけいるでしょうか。
彼を賞賛する方々の意見を見ていると、いかにもな正論で批判する人間に的外れな注文を付けながら、自身は普遍的人生を生きる人を小馬鹿にしたようなコメントをする、不思議な方が多い印象。
こういった方々は、世間や専門家の忠告に対しても、「命懸けで登山して、どうぞ」と狭量な事を仰るのでしょうか。
亡くなった栗城さんと同じように。
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年々より高い目標ばかり掲げるが、達成する為の努力はまるで怠っていた方です。自力で登頂に成功したのは、標高837mの韓国プッカン山のみだったはず。
代わりにメディアで高らかに夢を語ることには熱心でした。
著名な登山家の方々が栗城さんを指して、「普通の浪人生がノー勉(全く勉強せず)で何年も予備校に通い東大受験に挑戦するようなもの」と評しておられましたが、これが全てな気がします。