日本人がいつのまにか忘れてしまった「神社」の意味とは?
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神社参拝コンサルタントの私が通りますよ。
パリではっていうけど、日本は今でも凄くそこかしこにそういう場があるよ。
普通の神社や寺だけではなく。
なんか小さな祠とかも今でもそこかしこに。
でも「体感」としてというのは確かに薄れているかもしれない。
キチンと向かえば、キチンとした神社さんなら物凄く通りを感じる事が出来るだろうけど。
最後の「だったら国民は、祈っているだろうか?」はその通りで、天皇に向かいを丸投げしてる様ではダメで。
世界との向かいは、それぞれが直にだから。
本来神社とはそういう場としてある。
神社の古い祭祀形態である磐座とかは、本来触るものとしてあったと思うんだよね。
何故巨石とかが多いかというと、神を通し降ろしても耐えられるものとして。
別に巨石そのものが神というわけではない。
その通りが神として。
それがチャージ装置としてあったと思う、本来は。
だから神そのものをこの身体に通し受けるというのは、極めて大事なんだよね。
そしてそれが本来の「ミコト」。
身のコトとして。
そしてスメラミコトとしてある者が全てをその様に。
でも天皇はオホキミとしても。
オホキミかスメラミコトか。
これが入れ替わり続けて。
でも本来のスメラミコトは血統などでは繋がらない。
本当の皇神の捉えがあって。
そしてその捉えがあればその者がスメラミコト。
仏法仏道はそこに繋がるものとしてある。
でも今はまずは近くの神社さんをかかりつけ神社として世話になることをお勧めする。
注目のコメント
>日本では、言い伝えの意味が消えているもの、名前だけになって内実が伝わらなくなっているもの
確かに、名前や見た目などの浅い部分が伝わっているものが多い。
最近「ディスる」の語源を知りました。
→ disrespect。らしいです。