来年導入の英語スピーキング試験、百害あって一利なし 受験産業を儲けさせるだけで実力向上はまず望めない
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スピーキング試験は何を目的にするにでしょうか?発音?話している内容?それとも受け答え方?解答が一つしかない「試験」にしてしまうと実際に社会で使えるものにはならないでしょうし、筆者がおっしゃっている「パブロフの犬」や「インコ・オウム」になってしまうでしょう。
日本の英語の授業で記憶している
"How are you?"
"I am fine, thank you. And you?"
といったやり取りを私は一回も使ったことがありません。実際の会話ではもっとカジュアルになりますし、それも地域によって話し方が変わります。英国、米国、シンガポールでも違います。正しい回答は言葉、発音ともに複数あるわけです。試験の回答はこれしかないになると使えないものにしかなりません。
渡米して長くなりますが、日本では英語は赤点でした。今でも会話は全然完璧ではないし未だに「わからないからもう一回言って」と言われることが何回もあります。そんなレベルの英語な私でもまだこちらで生き残っています。この記事の外交官さんの例もありますが、英語はあくまでも1ツールでそれ以上の何物でもないんです。いかにきれいにハンマーで釘が打てても、家を建てる地盤や設計図、完成目標が無いとそのツールの意味は無いのと一緒ですね。試験に通るスピーキングだけでは何もできない。
もしスピーキングをテストにするなら「討論会」形式とかにして生徒が何を考えているか、それをどう表現しようとしているかを見てあげるのがいいのでは。そんなリソースを各大学が入試で割けないのはわかっておりますが、そうでもしないと生徒のスピーキング能力は見えないでしょうし、将来の役にはたたない日本国内だけでしか有効にならない物になってしまうと懸念しております。