これでわかる「憲法9条」の本当の論点〜なぜいま「改正」なのか?
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注目のコメント
改憲反対派の中には改憲自体には賛同しているものの、「安倍政権での改憲に反対」という、憲法問題よりも政権批判が強く出てしまっているために面倒なことになっています。
まぁ、それこそが野党が狙った状態なのかもしれませんね。法律を変えることにはなんの躊躇がないのに、何故憲法だけは、歴史上一度も変えたことがないのか、というのは日本という国の形を考える上で、興味深い問題です。
戦前の大日本帝国憲法は「不磨の大典」と呼ばれ、その改正はある種のタブーでした。
それは法律上そうなっていたというより、憲法の発布が天皇陛下から臣下に授けた、という形をとったことに根本的な原因があると考えられています。
天皇陛下が、くださったのだから、そこに間違いなどあり得ない、改正するなど恐れ多いという、感情が、いつしかただの法律を何か凄い秘伝や秘宝の様な扱いにしてしまったのです。
恐らく日本国憲法も一緒で、形の上はともかく、実質はGHQが作ったことが、いつしか天皇陛下の恩賜と同様に、神格化され、「不磨の大典」に昇華したものと考えられます。
しかしいかに「不磨の大典」といえど、所詮人間が作ったもの。
大日本帝国憲法が元々普通選挙を想定していなかったことから、現実との齟齬が生まれ、天皇機関説などの「解釈改憲」で法律との差を埋めてきたものの、最終的にそれが破綻し、戦前の日本が破滅に向かう遠因になったことはよく知られています。
現代の「不磨の大典」である日本国憲法は、果たして現実との齟齬がないのか、それがかつての大日本帝国憲法と同じ末路になる可能性がないのか、私たちは考える必要があると思うのです。日本の大学は徒弟制度。護憲派の教授の牙城。
「憲法9条」も問題だか、既存の法制度が想定していない動き(シェアリングエコノミー、フィンテック等)に対し、日本の法制度は対応する力がきわめて弱いことの方が大問題だと思う。
しかし、法学部の教授でそうした問題意識を持つ人は皆無だと思う。
もし高校生に戻ることが可能なら、上記の問題意識をもって東大法学部に入学し、法制度の比較を専攻したい。