全米の教育界で重視される「非認知能力」の鍛え方
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畑で放課後学童を週2回やっていますが地域の変な大人たちが子供たちの興味をフォローする関係をもっと作れるようにしていきたいなと思います。
ウチの娘は、、、っていきなり親バカですが
生き物がとにかく大好きで親に隠れてゴキブリを飼っていたぐらいなのですが
小学校の校長先生がそれを随分買ってくれていて、捕まえた大物は必ず学校に持って行っていました。
アオダイショウ、コウモリ、昨日はモグラ。その結果、6年生となった彼女は飼育栽培委員長になるとともに、サバイバルクラブを創設し、火起こし、ロープワーク、釣りを実践すると申しています。
ウチは私も大好きで、仕事的にもマッチしていたから良かったですが全くそんなものに興味のない親だったらつい「女の子なのに、、、」って言っちゃったかもしれないし、学校もそんな校長先生でなければ「そんなものもってこないで」と言っていたかもしれません。
そんな時に地域の変な大人の存在は特に重要でしょう。
娘も馴染みの庭師のことを「師匠」と呼んで仕事手伝ったりしています。
少なくとも私が小学生だった時代は児童数も多く(団塊ジュニアw)いちいちそんなことに対応できなかったかもしれませんが、随分と多様性が認められやすい風潮になったなと思います。今でこそ、生きていくためには、熱量と非認知能力が重要であることがよく分かりますが、自分の学生の頃を振り返ると、”パッション”とは無縁な生活を送っていたなと思います。
とても無駄な時間の使い方をしていました。
しかし、いつどこでどんな体験からパッションを持つようになるかは分かりません。
ちょっとしたきっかけ、経験で誰でも180度変わることができると思っています。
なので、「まずはパッションを持つ力を醸成すること」に関しては、大いに共感できます。
”熱意を注げるものがない”と言っている方は多いですが、誰にでも何かあると思っています。意外にも3.11の話が登場しましたが、子供が自分自身で最善の方法を選ぶ「判断力、自ら考える力」の重要性、同感です。
全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となった大川小の悲劇に代表されるように、仮に生徒・子供と言えども、最後、自分の命は自分で守るしかないのです。極めて過酷で厳しいですが、これが現実です。先生・大人が守れる保証はありません。
この教訓、「津波てんでんこ」の伝承は個人的に命ある限り、繰り返していきたいほど大切なものです。
https://newspicks.com/news/2986242?ref=user_854249
またパッション、熱量、「好き」を、大人や時代遅れの価値観を押し付けて否定したり、誘導するのではなく、温かく見守り、伸び伸び育てて上げる必要性も個人的に同意です。
子供も一人の独立した人格であり、その主体性を尊重すること(≠放置)、後生畏るべしです。