【石川善樹×矢野和男】永久の未完成、これ完成である
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注目のコメント
ちなみに、この「永久の未完成、これ完成である」というのは、宮澤賢治のメモ書きのなかにあった『農民芸術概論』の最後の言葉です。
多少関係してる言葉として、鶴見和子さんの「微小宇宙 我 大宇宙と響き合い、奏でる響き日々新しき」という短歌も大好きです。
お読みいただきありがとうございました!"仏教における幸せっていうのは、どちらかというと不満がないことが幸せというか。仏教って面白いことに、苦しみのことしか言っていないんですよ。"
どれだけ生きる事自体が難しかったのか、という事なんだと思うんですけど辛すぎますね。
フッと仕事に置き換えると、「変化そのものが楽しい」と思えるようになるかならないか、が重要な気がします。強欲に金を稼ぐっていうのも悪くないんですが、自分で渦を巻き起こして自分の船も揺れてしまう。どうせ誰かがそこら中で渦を起こしてしまって揺れてしまうので、四方八方から渦に飲み込まれる事を前提に船を設計することも楽しいと思います。「昔話に出てくるおじいさんおばあさんみたいな。」というのが良いですね。確かにあのおじいさんは、隣におばあさんがいる、それだけで幸せそうです。
私は幸せを「快楽」と「幸福」に分けて考えています。「快楽」は、何かを個人で達成したり勝負に勝った時などに感じる喜びや高揚です。幸せの波長としては短期的にグッと上がるので、忘れられない感覚が残りやすい印象ですが、刹那的な面もあるように感じます。石川さんが高揚するようなハッピーと表現されているもの。
もう1つの「幸福」は、他者を通して感じる「じわっ」とした幸せです。家族でご飯を食べている時や誰かにありがとうと言われた時に感じるもの。これは感情を大きく揺さぶりはしませんが、幸せの波長が長い印象を持っています。
昔話のおじいさんおばあさんは、そういう点で「幸福」的幸せだなと思ったりします。
この「快楽」と「幸福」、実は「快楽」は世の中の幸せの絶対量を増やすのが難しい。何かに勝つというのは裏に敗者がいるということ。宝くじなどが典型ですが、小さな残念を沢山集めて、1つの大きな喜びを作る。
一方で「幸福」は、他者の存在とともに生まれ、お互いが感じるものなので総幸せ量が増えやすいなと。ありがとうという言葉は言った側も言われた側も笑顔になりやすいですよね。
快楽も人生において大切なものなので幸せとはそのバランスだと思うのですが、最近は快楽的幸せが増えてきている気がしています。
石川さんのおっしゃる仏教的な幸せ、それはもっと認識されていいなと思いますし、それが矢野さんや石川さんの研究で可視化、言語化されていく未来が楽しみです。